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R32「スカイラインGT-R」の800馬力オーバーで見えたこととは? 「アートテック花塚」が語る「ターボ車だからこそハードに仕立てなければ意味がない」

アートテック花塚のR32GT-R

花塚代表がドラッグレース仕様に仕立てたR32GT-R

チューナーの心に残る厳選の1台を語る【アートテック花塚 花塚芳美代表】

 物心がついたころにはさまざまな乗り物に囲まれていて、しかもクルマをイジるための工具も揃っていた。恵まれた環境で育ったのだからチューナーになるのは自然な流れではあるが、その後に努力したから継続できている。そんな花塚代表の思い出のクルマは今も元気に激走する。

(初出:GT-R Magazine 149号)

チューニングについては雑誌や整備解説書から得る

 昭和30年代初頭、栃木ではまだクルマが珍しい乗り物だったころ、いち早くオート三輪を手に入れ活用していたのが『アートテック花塚』を取り仕切る花塚芳美代表の父親だ。

 土木業との兼業農家を営んでいた花塚代表の実家は、トラクターやユンボ、それにブルドーザーといった作業用の車両を20台以上も所有。しかもそれらをメンテナンスする場所まであり、工具はもちろんコンプレッサーや溶接機、さらには塗装用のツールまで揃えていた。

 そんな環境で育った花塚代表は、4歳で怒られながらも原付きのスクーターで遊び始め、6歳になるとカブのロータリー式トランスミッションが操れるようになる。すでに10歳でマニュアル車を乗りこなし、中学生の夏休みには作業現場の敷地内で4tトラックを使って砂利運びの手伝いをしていたという豪快な少年だった。

「物心ついたころからオモチャの乗り物ではなく、実際の乗り物で遊んでいました。クルマはあるのが当たり前の道具だったのです。当時、父親からは『これからはクルマの時代だ』と叩き込まれていました。今の仕事についているのは少なからずその言葉も影響していると思います。それと『金がなくても軽には乗るな』と言われていたのも印象に残っています。今と違って昔の軽自動車はペラペラで危なかったですからね」

見様見真似でS30Zのドラッグマシンを作成

 地元の多くの先輩がチューニングカーに乗っていたので、チューニングがとても身近だった花塚代表は、中学生のころから先輩に頼まれて「失敗しても文句を言わない」約束で、実家にある道具を使ってスプリングをカットして車高短を作っていた。

 クルマの免許を取る前からチューニング雑誌を読みあさり、予備知識を仕入れていた。クルマを手に入れたらすぐにチューニングを楽しむためだ。高校卒業後は実家の仕事を手伝っていた花塚代表は、免許を取得してすぐに430のグロリアターボをゲット。その3カ月後にチューニング用として15万円でS30のフェアレディZも購入した。

「430は快適性を重視。そのぶん、S30はガッツリと手を入れました。レース車両にも対応してくれる知り合いの整備工場に依頼して、ZのL型を3.1Lのメカ仕様にしたのです」

 このクルマで花塚代表は雑誌社が主催するゼロヨン大会に若葉マークを付けて参戦。記録は14秒台だった。そのころからチューニング雑誌ばかりでなく、整備解説書なども熟読してチューニングを独学で本格的に学んでいった。

 23歳のときに知り合いに頼まれてS30ベースのドラッグマシンを見様見真似で製作。リヤのサスペンションはセミトレの独立式からホーシングを使った4リンクのリジット式に変更し、パイプフレームで仕立てる。フロント側はストラットの前をそっくりとカットして軽量化を図る。エンジンは3.1LでTO4Bを2機掛けして430psをマーク。現物合わせで作った割にはゼロヨン10秒台という立派な結果を残した。

 その噂を聞きつけてチューニングの依頼が増え始めた。それまでは昼は実家の仕事を手伝って、夜に仲間や自分のクルマをイジっていたが、夜だけではこなしきれなくなり26歳でチューニング1本で勝負することを決断。こうしてアートテック花塚が誕生した。

RBエンジンの実力の高さに驚いた

 L型メインでやってきた花塚代表はZ31でRB20エンジンに携わり、その素性の良さを実感。ロッカーアームを介してカムの動きをバルブに伝えるL型は、動きを伝える面積が小さくて、常に同じ部分が押されることになり油膜切れが起こりやすい。

 一方でRBはバルブに取り付けられたリフターをカムが押している。リフターは面積が広く熱処理もされていて、しかも押される度に動いているので負担がとても少ない。さらにL型に対してRBは一体成型で剛性を上げている。またRBのブロックはリブを設けて補強も抜かりない。花塚代表が創意工夫を駆使してL型で手を入れていた項目がRBではことごとく対策されていた。さらにそのエンジンを進化させたRB26DETTに興味は尽きない。

 平成2年にR32ニスモの抽選に外れ、標準車を手に入れた。そのクルマではハードなチューニングをすることなく1年半で売却。本格的なチューニングは先輩のR32を使わせてもらった。このクルマをイジるようになってコンピュータの重要性に気付き、制御系を猛勉強。パソコンからロムスコープやロムライター、それに空燃比計など機材代に150万円近くつぎ込んだ。パソコンとは無縁だった花塚代表は流石に独学では無理だと察して『緑整備センター』の内永 豊代表に教えを乞うた。

ターボチューンだからこそカムやヘッドはハード志向

 平成6年に再びR32を入手。RBに対するチューニングのノウハウも制御の知識も深まっていたころで、その実力を余すことなく注ぎ込んだ。

 まずはエンジンノーマルでターボをGT2530ツインにして、ブースト1.3kg/cm2で550psをマーク。Hパターンのクロスミッションでゼロヨンは10秒9。その後、カムをIN256度/EX264度に換えてパワーFCで制御し、同じブースト圧ながら600psをマークした。ゼロヨンも10秒79にタイムアップしたのである。

 そろそろエンジン内部も強化しないと持たないレベルになってきたので、ボアの広い東名の鍛造ピストンを使い、クランクはノーマルのままで2.7Lに仕上げる。同時にターボはGT3037Sツインに換えてカムもIN/EX共に280度に変更。制御はVプロのエアフロレスで、ブーストを2.1kg/cm2まで掛けて850psを絞り出す。この仕様で初の9秒台となる9秒8をマークし、すぐに9秒4までタイムを詰める。

 このクルマはトラストの4層インタークーラーとサージタンクを使ってインテークまわりを100φのパイピングでレイアウト。ビッグサイズの6連スロットルを組み合わせる。オイルポンプは東名パワードの強化品で、オイルパンはトラストの大容量タイプ。インジェクターは1000ccでボッシュの燃料ポンプを3機使う。

 クランクプーリーはATIで、エキゾーストはチタンのオリジナル。クラッチはHKSトリプルを装着し、足はアペックスのN1ダンパーベースのオリジナル減衰だ。ホイールはボルクレーシングのTE37で17インチの9.5J。タイヤはニットーNT555の275/40を組み合わせる。

「GT-Rが得意だと言い切れる実績を作ったクルマです。RH9に入会できたのもこのクルマのお陰かな」

 散々イジりまくったL型で身に付けた自分なりのチューニング理論を持つ花塚代表は、それを生かすことで比較的順調に9秒台に行き着いた。

 ターボだからといってオーソドックスなカムやヘッドでは期待に応えてくれない。むしろNAよりもハードに設定しないと狙ったパワーは生み出せない。とくにバルブスプリングは確実にNAよりも硬くしなければならない。柔らかいとブースト圧でバルブが開いてしまうからだ。

 バルブスプリングとカムの組み合わせも見逃せないポイントで、派手なカムほど力強いバルブスプリングを使わないとカム山を上手くトレースできない。抵抗になるからと柔らか目なバルブスプリングにすれば、回らないエンジンになってしまう。すべて花塚代表がL型で実証済みだ。

800psオーバーに仕立てたことで見えたトラブルもある

 このR32はRB26DETTの弱点も教えてくれた。それが8ウエイトの純正クランクだ。パワーがそれほど出ていなければ気にはならないが、800psオーバーではエンジンを回せば回すほどネックになってくる。

「ドラッグレース後の点検でクランクプーリーの真下に漏れたオイルを見つけたんです。いろいろと調べていくと、どうやら高回転でクランクがブレて、その先にあるオイルポンプのインナーギヤがアウターケースと干渉してクラックが入ってしまったようです。気付くのが遅かったら間違いなくエンジンはブローでした」

 そのときエンジンを降ろしてオイルポンプまわりを修理し、クランクだけHKSのフルカウンターに交換した。つまりパワーに関係するパーツにはいっさい手を付けていない。

「偶然にもそんな好条件でクランクの効果が体感できたんです。すると大袈裟ではなく100ps近くパワーが上がった感覚を味わいました。低速から圧倒的に元気になったのです。今までどれほど抵抗だったのか、実感しました。大パワーを8000rpmで受け止めるには8カウンターでは無理があるということです」

 ガンメタからブルーにボディカラーを変えて、さらにタイムアップを目指そうとしていた矢先に古くからの常連に「どうしても譲ってほしい」と懇願された。RB26DETTのあらゆることを学んだ思い出深い1台ではあるが潔く手放した。平成12年のことだ。

「手放して20年近く経ちますが今も大事に乗ってくれています。そのオーナーはゼロヨンタイムを9秒2まで縮めました。譲ってよかったと思います」と花塚代表。入魂のRが元気だとやはり気分も爽快のようだ。

(この記事は2019年10月1日発売のGT-R Magazine 149号に掲載した記事を元に再編集しています)

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