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【緊急追悼連載:3】ホンダ3代目社長・久米是志さんが遺したもの──世界初の「エアバッグ」や「カーナビ」を開発! 「大事なものは自分でつくる」ホンダスピリットとは

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TEXT: いまはモンパルライダー  PHOTO: 本田技研工業/AMW編集部

世界初の民間用車載ナビ「ジャイロケータ」

 もう一例、車載ナビゲーションシステム(以降ナビ)を紹介させていただきたい。これも今では必需品となっているが、発端は当時久米さんが自衛隊の演習を見たとき、戦車が凸凹路を走行してもその砲身がピタリと照準をはずさなかったことにヒントを得て、そこに使われているジャイロが何かに使えないかと考えたことに端を発したらしい。それはやがて、お客様に地図上の現在位置と進むべき方向を示し道案内をすれば、ユーザーに新しい価値を提供できるという発想につながった。

 2代目「アコード」に搭載された最初のナビシステム(ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータと呼ばれた)はアナログであった。透明シートに印刷された地図を紙芝居式にブラウン管の前にセットしてその都度地図上の現在地にブラウン管の輝点を合わせ込むもの。すなわち、地図フィルムとブラウン管に電気的つながりはないのである。GPSなどない時代、先人たちの苦労と努力は想像に余りある。

 初代ナビは商業的には成功とは言いがたかったが、デジタル化、マップマッチング(自動位置合わせ)、GPSとの併用等の過程を経て、現在のような使いやすいナビに進化した。ある意味では発想に周辺技術が追いついていなかったとも言えようか。ちなみにホンダの自前技術から生まれたジャイロケータ開発者は、世の中に出てから30年以上たった2017年にIEEEマイルストーン(世界最大の電気学会)で表彰されている。

社長としてホンダマンたちを元気に働かせてくれた

 最後に、社長となった久米さんが会社のある施策について、すべきかすべきでないかを決めるときに考えたのは次の2つと著書(『ひらめきの設計図』久米是志・小学館・2006年)に書かれていた。

1.それがお客様の喜びに繋がるか

2.それが現場の社員の元気に繋がるか

 思えば1980~90年代、われわれホンダマンは本当に元気に働いた。それは私が若かったからというだけではあるまい。もしかしたらホンダの社員は元気に働かされていたのかもしれない。もちろん、そんな働かされ方なら大歓迎である。まったくもって、私はいい時代にホンダで働かせていただいたのだと思う。

 最後になりましたが、久米是志元社長のご冥福を心よりお祈りいたします。

■いまはモンパルライダー 略歴

 1957年北海道生まれ。工業系大学卒業後、トラック製造メーカーを経て1985年(株)本田技術研究所に中途入社、2022年に無事に定年退職。技術史に興味があり、とくにレーシングマシン、戦闘機や戦車等、極限で使われる機械、蒸気機関車などに機能美を感じ、興味の湧いたものをついつい深掘りして調べてしまう超アナログ人間。またそれらの模型を作ることも趣味で、最近は出戻りライダーとしてTL125に乗る。

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