ノッキングと点火の関係がわかったから転機が訪れた
33歳でR33をデモカーとして購入。R32でのノウハウがあるので、そこそこまでは問題なくチューニングを進められた。しかし、そこそこの領域を超えた途端にトラブルが勃発。ハードにエンジンを攻め込むと容赦なく壊れていった。
そのころは停止状態から300km/hまでの到達タイムを競う雑誌主催の企画に積極的に参加していた。会場となる谷田部のテストコースまでおよそ10時間。積載車にR33を載せて好タイムを思い描きながらひた走る。ときには寝ずにエンジンを組み、慣らしを兼ねてそのまま向かうなんてこともあったそうだ。
とにかく行きは「早くタイムを叩き出したい」という思いからあっという間の10時間だ。ところが想定していたタイムが出ず、おまけにエンジンブローまで引き起こしたならば、帰り道は途方もなく遠く感じる。
そんな経験を嫌というほど味わった横山代表。当時のセッティングは、それまでのサブインジェクターを使っていたころと同様、少なからず勘に頼っていた。必死に努力して、すでにメインコンピュータに手を入れられるようにはなっていたが、手探り状態に近かった。
「あわよくば上手くいくかも」といった甘い考えが心のどこかに潜んでいたのだろう。谷田部のテストコースではそんな取り組みは通用しない。それを痛感した。
「豪快なブローっぷりでした。コンロッドがエンジンブロックを突き破ることはざらでしたね」
それでも横山代表は自分を信じて挑み続けた。無我夢中で食らいついていったのだ。
「あるときダメージがとても少ない壊れ方をしたことがあったんです。安定はしないながらもエンジンは何とか掛かる状態で、工場に戻ってエンジンを開けてみるとピストンがわずかに溶けていました。ノッキングの影響です。それでも以前よりも大幅にノッキングが抑えられていたことが確認できたんです」
その出来事がきっかけになって、横山代表はノッキングと点火時期の関係が見えてきたという。そこから点火マップの作り方を変えてエンジンブローは激減した。
タイムも順調に伸びて、17秒64という好記録を叩き出した。HKSのデモカーの16秒9には及ばなかったものの、それでも十分に満足のいく結果で、達成感はひとしおだ。
そのときのR33の仕様は、87φの鍛造ピストン、H断面コンロッド、フルカウンターのクランクシャフトはアペックスを使う。カムはHKSでIN264度/EX272度。どちらもリフトは10mm。Z32エアフロを使ってメインコンピュータで制御する。ターボはT88 34D–18cm2でアペックスのレーシングウエストゲートを組み合わせた。インテークとエキゾーストまわりはワンオフで、メインインジェクターは890㏄に変更。これで850㎰をマークした。
R33のおかげで今のフェニックスパワーがある
ここまでくるのに2年掛かった。横山代表自身ですら「あんなに苦労していたのによく諦めなかった」と、今にして思えば奇跡的なほどだったと当時を振り返る。絶体絶命だとわかっていながら果敢に向かっていったからこそ、セッティングの勘所が見えてきたのだろう。神様は乗り越えられる試練しか与えないというが、それに共感するほどの出来事だった。
無謀とも思えるセッティングを行っていた反動から、横山代表は現在のような理論的なチューニングスタイルを確立したのだろう。
「間違ったことをいくらがむしゃらにやったとしても正解にはたどり着けません。辻褄の合う正しい理論を見つけ出して、理解しないと上手くいくわけがない。それさえできればチューニングの仕様が変わっても、クルマが変わっても対応できるから安心です」
言葉にすれば簡単だが、横山代表は2年掛かってやっと正しい理論を発見した。チューニングとはそれほど奥深いものなのだ。
「R33での挑戦を途中で諦めていたら、いまだに勘を頼りにしたセッティングを行っていたかもしれません。まあ、現実的にそんなことは通用するわけなどなく、とっくに廃業していたでしょうけれどね」
現在、フェニックスパワーに多くのユーザーが集まってきてくれるのは、間違いなくこのR33のおかげだと横山代表は断言する。奇跡を起こしてくれたクルマ。決して大袈裟ではなく、今でもそれほどの熱い想いをR33に寄せているのだ。
(この記事は2019年12月1日発売のGT-R Magazine 150号に掲載した記事を元に再編集しています)