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ハイトワゴンブームはスズキ「ワゴンR」から始まった! 6年で100万台も売れた理由とは

スズキ・ワゴンRのフロントマスク

背の高い軽自動車の魅力を最初に生み出した

 日本特有の車両規格である軽自動車は、人々の移動手段として暮らしを支えているが、歴史のなかで何度か苦難を味わっている。

 ひとつは、それまで16歳から運転できた軽四輪免許が1968年に廃止となった。ふたつ目は、1973年に軽自動車にも車検制度が導入された。

 ほかにも、1975年には、軽自動車も含めた排出ガス規制への適応が不可欠となった。1973年と1976年に二度の石油危機が起き、単に車両価格が安価なだけでなく燃料の節約にも貢献する軽自動車に追い風となるはずだったが、軽自動車業界は必ずしも順風満帆ではなく、販売台数は伸び悩んだ。

 そこに登場するのが、1979年に商用車規格を基にし、超格安で販売されたスズキ・アルトである。47万円という破格の値段で一気に市場を席巻した。また軽商用とすることで、軽乗用に課せられていた物品税が免除となることも、アルトの人気を支えた。そしてダイハツからも、ミラが1980年に誕生し、軽自動車市場を両車で牽引したのである。

 しかしそれ以後、市場を動かす新たな価値が10年以上生まれず、そこに登場したのが1993年のワゴンRである。

軽自動車のミニバンという着想から生まれたワゴンR

 軽市場を活気づけたアルトやミラは、軽商用を基にしたので後席は簡易的なつくりだった。そこを改善し、なおかつ軽自動車枠という車体寸法の制約のなかで、伸びしろのある車高を高くすることによるワゴン性を加えたのがワゴンRだった。ひと言でいえば、軽自動車のミニバンという着想だ。

 ちょうどそのころ、軽自動車規格の改定が行われ、車両全長が10cm延ばされ、エンジン排気量が660ccへ拡大されることになった。

 バブル経済が崩壊したあと、安さが売りであった時代に、若い男性が日常生活のなかで使えるのはもちろん、余暇として趣味の道具やマウンテンバイクなども積める大きな荷室があると喜ばれるのではないか、その発案がワゴンRの企画として煮詰められていった。

 ただし、それによって車両価格が上がったのでは意味がなく、人気商品であった乗用車の部品を可能な限り流用する設計も行われた。独特だったのは、当初は右側の後ろのドアがなく、これも原価低減のひとつだろう。一方で、ワゴンRの魅力を活かすため新たに開発しなければならない部品もあり、それは、のちの新車開発で活用できるようにする工夫も盛り込まれ、一台限りではなく長い目で見た原価低減という発想も生まれた。

約6年で100万台を突破

 こうして初代ワゴンRは誕生した。その斬新さなど、魅力にあふれた商品性は、発売から3年2カ月で累計50万台の売り上げを達成し、約6年で100万台を突破する。若い男性だけでなく、老若男女がその商品性を高く評価した結果だろう。

 1995年には、ダイハツからムーヴが誕生し、ハイトワゴン時代がはじまる。そして次に、さらに車高を高くしたスーパーハイトワゴンと位置付けられるタントがダイハツから2003年に登場し、今日のスーパーハイトワゴン人気が定着する。

 背の高い軽自動車の魅力を最初に生み出したのが、ワゴンRであった。

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