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戦争長期化のロシアで懐かしすぎる「国民車」がまさかの復活!? 旧ソ連時代のコンパクトカー「モスクヴィッチ」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/AMW編集部

1960年代には輸出が盛んで西側にも販売していた

 モスクヴィッチ402系は、1964年に第3世代の「モスクヴィッチ408」系に移行しています。ボンネットがフェンダーとフラットになったボクシーなデザインが特徴で、初期型は丸形2灯式ヘッドライトでしたが中期型では角型2灯式、さらには丸形4灯式とヘッドライトが変わっていき、さらにテールライトのデザインも変更されていました。また当初はMZMA-407ユニットを搭載していましたが、最高出力は50psにパワーアップし、さらに輸出仕様では54psとされています。

 この時期にモスクヴィッチは輸出がぐんぐんと拡大し、1960年代後半には生産されたうちの半数以上が輸出されていました。輸出に関しては「価格よりも価値がある」のスローガンで、フロントブレーキをサーボ付きのディスクに変更したり、またエンジンも75ps仕様にアップグレードしたり、と改良が繰り返されていきました。

 またこの世代からMZMA(モスクワ小型自動車工場)/AZLK(1969年に改名、レーニン共産主義青年団自動車工場)に加えて、ラーダ・イジェフスク(Izh)でも生産されるようになっていました。そしてそれぞれ、1976年に「モスクヴィッチ2140」系、1973年に「Izh 2125」系として新世代に移行しています。

ソ連末期にやっと後輪駆動から前輪駆動へ移行

 ここまでの4世代はフロントに4気筒エンジンを搭載し、後輪を駆動するコンサバなパッケージングで生産が続けられていました。そして1990年に登場したIzh版の後継モデル「2126」、通称「オーダ(Oda)」はハッチバックボディにコンバートこそされていたものの、駆動系はフロントにエンジンを搭載し後輪(あるいは4輪)を駆動するFR(あるいはFRベースの4WD)とコンサバなパッケージとなっていました。ですが、1986年に登場していたモスクヴィッチ版後継モデルの「モスクヴィッチ2141」は、クライスラー傘下でイギリスに本拠を構えるクライスラーUKが開発し、フランスのシムカが1970年にリリースした「1307」をお手本に開発されたもので、ソ連初の前輪駆動車でした。

 じつはMZMA/AZLKではモスクヴィッチ2140系の後継モデルとしてコンサバな後輪駆動の開発を進めていたのですが、トップの「鶴の一声」でシムカ1307をお手本とした前輪駆動のニューモデルを開発することになった、とも伝えられています。もっとも開発技術者には彼らなりの意地があったということでしょうか、一見するとバッジエンジニアリングでできた兄弟車のようにも映るモスクヴィッチ2141とシムカ1307ですが、パーツのひとつひとつは全くの別物だったと伝えられています。

外資が総撤退したロシアでブランド復活、ただし中身は……

 そんな経緯が影響していたのでしょうか、1990年代初頭にOAO(合資会社)モスクヴィッチに社名を変更していたMZMA/AZLKが2002年に破産申請をして操業を停止することになりましたが、その際に救いの手を差し伸べたのがフランスのルノーで、モスクワ市とともに合弁会社アフトフラモス(2014年にルノー・ロシアに改名)を設立。ノックダウンキットを輸入して完成車の生産を始めたのです。

 そんなルノー・ロシアでしたが、2022年、ウクライナ侵攻に端を発したロシアに対しての西側諸国による制裁の一環として、ルノーはモスクワ工場をモスクワ市に売却することになりました。そこでモスクワ市政府は元ルノーのモスクワ工場を国有化し、新たなクルマを生産するプランを発表しました。その新しいクルマの名前として「モスクヴィッチ」の名が復活することになったのです。

 7月に発表されたニューモデル(の候補車)はセダンとSUV、そしてガソリンモデルと電気自動車、と最近のトレンドを抑えていますが、すべて中国メーカー「JAC(江淮汽车)」によるバッジエンジニアリング車両です。12月には生産開始の予定と発表されたようですが、現時点で正確なところは分かっていません。

AMWのミカタ

 2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻してから9カ月を過ぎ、いまだ予断を許さない状況が続いています。自国領土を戦場としていないロシア側においても、長引く戦争による人材と資源の大規模な損耗、そして海外企業の相次ぐ撤退によって、国内産業の空洞化が深刻化しているようです。そんななか、モスクワ市では工場を稼働することで市民の雇用を確保するとともに経済対策としたい、いわば苦しまぎれの「モスクヴィッチ」ブランド復活という構図がうかがわれます。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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