「コペン」に乗って二十代を思い出したので当時のレンズで撮影
AMW編集部員がリレー形式で1台のクルマを試乗する「AMWリレーインプレ」の最後を務めるのは、編集長西山。撮影も編集者自らが担当する当企画、学生時代を思い出してカールツァイス プラナー50mm一本で撮影に臨んでみました。
初首都高速ドライブを思い出す
神田橋から首都高速に入ってアクセルペダルを強く踏み込む。自分の思い描いているのと割と近い感覚をトレースして、料金所からの上り坂に続く短い合流区間で夜の首都高を流れる光の一部になった。
と、書き出すと、運転しているのは500ps以上のクルマだろうか? それとも200psぐらいだろうか? と想像する人がいるかもしれない。いやいや、“たった”64psしかない軽自動車、ダイハツ「コペンGRスポーツ」の話である。
メーターパネルの下にあるツマミでエコモードをまずオフに。Dレンジにあるシフトレバーを右に倒してスポーツモードにすると、パドルシフト操作することでシフトチェンジするマニュアルモードになる。今回、私がデフォルトで試乗したのがこの組み合わせ。トランスミッションはCVT。シフトアップしていくと、7段まで用意してあった。
ここで場面は30年近く遡った1990年代初頭にまで遡る。納車されたばかりの新車のユーノス「ロードスター」で初首都高ドライヴへ。当時は日中でもハイビームにして追い越し車線をかっ飛ばすAMG(当時はアーマーゲーと間違って呼ばれていた)とかが普通だった時代だから(東名高速での話)、免許取り立て、若葉マークをつけた大宮ナンバーのロードスターは、煽られまくって当たり前。「流れに乗る」走りではなく、「法規に則った」走りだから、周囲のクルマの邪魔者以外の何者でもなかったとは、いまにしてわかる。まあ、法規を守った走りというのにも訳があって、免許取り立ての若者の首都高デビューはそれが精一杯の速度であったのだ。
しかし、当時はそうして周囲に迷惑をかけないように、俯瞰的に自分が運転しているクルマを捉えてドライヴすることを、自然と身につけていったものである。