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営業不振のBMWを救った「イセッタ」のデザインは、「冷蔵庫をスクーターでサンドイッチ」!?

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

2台のスクーターで冷蔵庫を挟み込んだスタイルが最大の特徴

 今回の主人公であるBMWイセッタを紹介する前に、ベースとなったイソのイセッタについても触れておきましょう。イソは冷蔵庫や暖房器具などを製造していたイソサーモスから派生発展したイタリアの自動車メーカーで、1960年代にはリヴォルタGTを発表。

 さらに何タイプものグリフォを発表し、スーパーカー・メーカーの先駆けとしても知られています。そんなイソがスクーターに続いて1950年代前半に開発したマイクロカーがイソ・イセッタでした。ちなみに、イセッタ(Isetta)とは小さなIsoの意。アルファロメオのジュリア(Giulia)に対する妹分のジュリエッタ(Giulietta)のように“etta”は小さなものを表す接尾語です。なお、ジュリアとジュリエットは妹分のジュリエッタの方が先に誕生する、という不可解な関係でしたが……。

 それはともかくイセッタです。冷蔵庫などのメーカーからスタートしたイソは、次いで2輪メーカーとしてスクーターなどを生産した後、4輪メーカーとして名乗りを挙げています。最初の4輪車を開発するにあたってオーナーのレンツォ・リヴォルタはエンジニアに対して『独創的なデザインを』と命じたようです。これに応じて開発担当のデザイナーは、まずは冷蔵庫を置き、その両横にスクーターを並べたようなデザインを示した、と伝えられています。

 イセッタのドアを『まるで冷蔵庫みたいにドアが開く』と形容することもありますが、まさに冷蔵庫のドアから生まれたアイデアだったのです。ただし、本国イタリアでは歴史的な傑作となったフィアット500のおかげでヒット商品とはなりませんでしたが、海外ではライセンス生産が盛んに行われることになりました。

イソ・イセッタと共通のパノラミック・ウインドウを採用

 海外におけるライセンス商品として、最も多く生産販売されたのはドイツにおけるBMWイセッタでした。ライセンス生産の契約を交わしただけでなく、BMWはイソ社からイセッタの生産設備も手に入れていましたから、当然と言えば当然です。1955年に登場した最初のBMWイセッタは、フロントドアだけでなくパノラミック・ウインドウと呼ばれるサイド及びリヤのウインドウ・グラフィックスも本家たるイソ・イセッタと共通でした。

 ただしエンジンメーカーから身を起こしたBMWらしく、エンジンに関してはオリジナルで搭載していた236ccで最高出力9.5HPの2ストローク単気筒エンジンから変更。戦後大ヒット商品となったオートバイのR25から転用した247cc(ボア×ストローク=68.0mmφ×68.0mm)で最高出力12HPの4ストローク単気筒エンジンを搭載していました。

 さらにBMWではスライドオープン機構を組み込んだサイドウインドウを採用し、排気量を298ccに引き上げ13HPにパワーアップしたエンジンを搭載するモデルを追加。さらにはエンジンをR67用をベースにした582cc(ボア×ストローク=74.0mmφ×68.0mm)で最高出力19.5HPのフラットツインに交換するとともに、全長とホイールベースを伸ばして右側に再度ドアを設けた2ドア/2+2シーターとしたBMW600を追加するなど、よりオリジナリティを高めていきました。

 しかし、シリーズで最大の特徴となっていたフロントドアは一貫して採用され続けていました。それこそがイセッタの存在理由だったのかもしれません。ちなみに、ステアリング系はフロントドアにマウントされていて、フロントドアを開くとステアリングも一緒に開いて乗降を簡単にする工夫がされていましたが、そのリンケージなどの技術レベルは今振り返っても高いレベルだと評価されています。ゲルマンの完璧主義をラテンの発想が凌駕していたということでしょうか。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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