アメリカを気ままに放浪3カ月:22日目~25日目
これまで2度にわたりアメリカを放浪してきた筆者。還暦を過ぎた2022年4月から7月にかけて、人生3度目のアメリカひとり旅にチャレンジしてきた。相棒は、1991年式トヨタ「ハイラックス」をベースにしたキャンピングカー「ドルフィン」。愛称は「ドル」。ロサンゼルスからサンフランシスコまで北上し、その隣のオークランドで1泊してから、さらに北の町へと移動します。
5月21〜24日 セバストポルのナネッタ宅に泊めてもらう
オークランドの次に向かったのは、サンタローザの近くにあるセバストポル(Sebastapol)という町。ロシアの仕掛けた不条理な戦争によって、今まで馴染みのなかったウクライナの町の名前をいくつも知ることになったが、そのなかに黒海に面したセヴァストポリ(Sevastopol)という名があった。北カリフォルニアにはロシア人が入植した町がいくつもある。セバストポルもそのうちのひとつなのだろう。
オークランドで泊めてくれた青年・ジェシのお母さん、ナネッタはいつものとおり、やさしくぼくを迎えてくれた。彼女に会えた喜びと、自家製のアップル・タルトのおいしさで、旅の疲れはあっという間に癒やされてしまった。
ようやく正式な車検証を手に入れる
ナネッタの家には、ぼく宛の郵便物が届いていた。MAKOTOさんが苦労をして取ってくれたレジストレーションの書類(車検証)だ。LAからここまでは一時的に有効な仮の書類で運転してきたが、ようやく正式な書類が発行された。
書類と一緒に小さなステッカーが同封されていた。日本では車検の期限を示すステッカーをフロントウインドウに貼るが、アメリカではナンバープレートの右上に貼る。さっそく所定の位置に張ってみると、一人前になった気がした。これでポリスに止められる心配もなくなった。
「シンタロウ、あなた、AAA(トリプルエー=アメリカ自動車協会)に入っているの?」と、さっそくナネッタの世話焼きが始まった。先日、朝イチにキャンプ場でクルマを動かした際に、エンジンの下からポタポタと液体が垂れるのを発見し、「オイル漏れか!」と真っ青になったばかりだった。結果的に朝露が垂れていただけでことなきを得たが、人里離れた場所でクルマが動かなくなったら、お手上げになる。
彼女の意見にしたがってAAAに加入することにした。会員には3段階あって、モーターホームは一番上のグレードにしか入れないことが分かった。1年間の会費が120ドルだった。そのとき、かつてJAFのカードを持っている人がAAAのサービスを受けたことを思い出した。日本でJAFに加入しておくのも手だったかもしれない。
ケビンは90年前に曾祖父が買ったクルマをレストア中
ナネッタに砂漠でオーバーヒートになりかけた話をすると、ケビンに相談してみよう、という。ケビンはナネットの亡夫・デビッドの友人で、ホットロッド・ショップで働きながら、自宅のバックヤードでVWのレストアをしているカーガイだ。ぼくも何年か前に、一度ガレージを訪ねたことがあった。
オーバーヒートについては、特別なアドバイスは得られなかったが、とんでもない掘り出し物に出会った。なんと、彼のひいおじいちゃんが新車で購入したという1932年製シボレー・スペシャル・セダンがフルオリジナルのままガレージに入っていたのだ。
当時の書類やディーラーが発行したオーナーズ・カードもきれいに保管されていて、間もなくレストアが終了して走り出す、という状態だった。おじいちゃん、叔父さんが乗り継ぎ、ケビンは初代から数えて4世代目のオーナーということになる。90年前のクルマがこうして蘇るのも、アメリカのすごさと実感した。この話は別途、記事にしたので関連リンクから読んでもらいたい。