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50代でリターン「アルトワークス」した理由とは? 当時の雰囲気を再現しながらワンオフで楽しむカスタム術

アルトワークスらしさを残しながらも、どことなく当時のヤンチャなボーイズレーサー感を演出

チューニングブームが起こった1990年代

 軽自動車のエンジン排気量が、1976年に定められた550㏄から1990年に660㏄へと変わった頃、安くて、速くて、楽しいクルマとして登場したのが3代目スズキ「アルトワークス」だ。時代はちょうどチューニングブーム真っ只中で、軽自動車に鋭い瞬発力を与えるべくターボ搭載車が続々登場した。どっちが速い、どっちが凄いと、その最速・最強の座を争いアルトワークス、「セルボ」、「ミラターボ」の三つ巴の戦いが繰り広げられたのである。

若い頃を懐かしんでチューニング

 これから紹介するアルトワークスのオーナーである山本信好さんも、その時代を経験し「チューニングにどはまり」して走りを楽しんでいた人物。当時が懐かしくなり、50歳を過ぎて再び3代目HA21S型アルトワークスを購入したと話す。

 昔からメカいじりが大好きで、現在は製造機械業を職業にする山本信好さん。見るからにノーマルとは違う姿を作り出すために、持ち前の器用さを活かしてオリジナルパーツをワンオフで製作。自分が思い描く理想のアルトワークスを目指した。

「大幅な変更を加えることは正直言ってそんなに難しくないんです。だけど、自分はアルトワークスが大好きなので、ベースモデルの形を崩すようなカスタムは施したくなかったんです」

 そう語る山本さんは、アルトワークスらしさを残しながらも、どことなく当時のヤンチャなボーイズレーサー感を醸し出せるパーツを組み込んだ。

 スポーティなルックスを作る上で欠かせないのがフェンダーだ。さすがにアルトワークス専用のフェンダーは当時も含めリリースされていないので、前後オーバーフェンダーは純正アーチに合わせてワンオフ製作。それだけでは寂しかったので、悪ノリで汎用リアウイングを逆付けにしてリップスポイラーとして仮組み。すると思ったより良い感じだったので、純正バンパーにガッチリ固定できるようにピロボール採用の専用アームを作ってマウントさせた。

貴重なパーツを惜しみなく装着

 ボンネットはカーボン製でメーカーは不明。当時も流行っていたが、取り付けヒンジにワッシャーを入れて少しだけケツを浮かせて熱気を抜くビンボーチューンも採用。その一方で、ボンネットの固定方法は普通のボンネットピンではなく、高価なエアロキャッチボンネットピンを使っている。理由は簡単、こっちの方がレーシーに見えるからだ。

 山本信好さんは旧車好きでもある。だからこそ、フェンダーも昔ながらのオーバーフェンダーだが、旧車感という意味では丸目ヘッドライトをオニ目にしている点も見逃せない。ここにはマーシャルのライトジャケットを取り付けているのが懐かしいポイントだ。

 また、当時の流行といえばmikihouseのビッグロゴが入った赤いトレーナーだろう。当時は若者御用達のテッパンウェアとして定着していた。さすがに山本さんはその服は着ていなかったが、愛車にはそんな懐かしい時代を思い出させるmikihouseロゴのハチマキも入れてある。

 当時物といえばマフラーのテール部にも注目。これはハコスカやケンメリの改造車乗りが当時よく付けていたイノウエデュアルテールをセット。入手困難な貴重なパーツなのだが、「パーツは飾るよりも使うタイプ、もったいないという気持ちもありましたが、使わなければ意味の無い物なので取り付けてしまいました」と話す。当時をよく知る人からするとこのマフラーも懐かしいパーツになる。

 ほかにはゴールドディスクBBS-RSも時代を感じさせるホイールだ。そして、インテリアのレカロSRのシート、モモのステアリングも当時の走り屋がこぞって取り付けた人気パーツだ。もちろん、装着しているパーツの中には現代風なリメイクも入っている。すべてを当時物にするだけでは面白くない。そこはオーナーの好みで、新旧を織り交ぜながら改造を楽しむ。それが山本信好さんの流儀というわけだ。

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