あらゆる面でよくできた、快適でスポーティなグランドツアラー
今回の取材のため、「湘南ヒストリックカー・クラブ(通称SHCC)」の村山 東副会長からテストドライブの機会をご提供いただいたのは、1964年型の356C。75psスペックのクーペである。
大磯ロングビーチの広大な駐車場を舞台とするジムカーナイベントを30年以上にわたって主催し、国内のクラシックカー愛好家の間ではつとに知られるSHCCにて長年副会長を務めてきた村山さんは、クラシックカーについて高い見識を持つ人物。そんな彼が大切に愛用するポルシェ356Cは、オリジナル性やコンディションとも素晴らしい1台であった。
356クーペの公称車両重量は935kgと、この時代の小型スポーツカーとしては重い部類に入るのだが、その分つくりの良さは圧倒的。それを物語るような「コトン」という音とともにドアを閉め、分厚いクッションに腰をおろすと、キャビンが当時のスポーツカーらしからぬ快適な空間であることに気がつく。
現代のポルシェのような華やかさとは無縁ながら、革そのものの厚みを感じさせるシートや、縁までキリッとしたカーペットなど、フィニッシュはたとえば同時代のメルセデス上級モデルにも比肩しうる、じつに上質なものとなっている。
そしてイグニッションキーをひねると、エンジンは割とたやすく始動。しっかり暖気したのち、まずはオーナーのご自宅周辺の公道へと走り出すことにした。
発進直後にまず気がついたのは、かつては国産車でも採用例の多かったポルシェ式シンクロメッシュ機構の入った4速MTの、ちょっとクセのあるシフトフィールだった。この時代のスポーツカーの規範であった英国車などと比べるとストロークが長く、しかも手ごたえはちょっとあいまい。各速に収まる直前でコクっと入る感じである。
そして住宅街を抜けてワインディングに入ると、水平対向4気筒エンジンの実力がかいま見えてくる。カーブの立ち上がりや勾配の強い坂道などでは、いささかながらパンチ不足が露呈してくるものの、トルクの出方がフラットなおかげで勾配のない平らな道での定速走行では咆哮を荒げることもなく、じつに快適至極である。
先祖を辿れば親戚ともいえるフォルクスワーゲンの空冷フラット4が「バタバタバタ」というのどかな排気音であるのに対して、ポルシェ356のフラット4はかつて「ビタミン剤を飲み過ぎたVW」とも称されたように、「ビュルルルーン」という独特のエキゾーストサウンドを聞かせながら、長距離ツアラーとしてのキャラクターを明示しているのだ。
このキャラクターを裏づけるのが、この時代としては驚くほどの剛性感と絶妙なサスセットアップがもたらす、乗り心地の良さである。ホイールベースはわずか2100mmと、VWビートルどころか日本の軽自動車よりもはるかに短く、しかも重量物をリアエンドにぶら下げたRRレイアウトゆえにオーバーステア傾向も危惧されたが、356Bスーパー90で初採用されたリアの補助リーフスプリングの効果なのか、少なくとも筆者が走らせられる程度の速度域では、テールがムズムズするような気配さえ感じられない。
そしてもちろんノンパワーのステアリングは、軽くて正確。神奈川県某所の山坂道を、ちょっとペースを上げて走らせる作業は、楽しいというほかなかった。
くわえて、356B時代のカレラ2に装備されていたディスクブレーキは、ポルシェ通の方々の弁によると利きがイマイチと言われていたそうだが、356Cに装備される901ゆずりの4輪ディスクブレーキは格段に現代的。ノンサーボゆえに踏力は決して軽くないながらも、踏んだら踏んだ分だけグイッとスピードを落とす。つまりはあらゆる面でよくできた、快適でスポーティなグランドツアラーと感じられたのだ。
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そういえば、ポルシェは21世紀を迎えるまで自社の市販ロードカーを「スポーツカー」として定義づけることはなく、つねに「ツーリングカー」であると標榜していたと記憶している。SUVであるカイエンやマカンについても「新しいかたちのスポーツカー」と謳うようになった現代のポルシェを思うと、なにやら不思議な感慨を思い起こさせる、356Cのドライブ体験となったのである。