VR38に求められた真の性能
初代ハコスカからBNR34まで続いた伝統の直列6気筒から、V型6気筒エンジンへと改められたR35GT-R。2001年に東京モーターショーで発表されたショーモデルの「GT-R CONCEPT」でそのことはすでに示唆されていた。R35用の新規開発エンジン「VR38DETT」を担当した仲田直樹氏に、当時思い描いた次期型R用ユニットの理想像を聞いた。
(初出:GT-R Magazine 167号)
ベースにあるのはRB26で得た経験とノウハウ
昭和61(1986)年に『日産自動車』に入社し、エンジン制御系(ECM)の開発に従事。その後、『ニスモ』でレース用エンジンの担当に加え、一般ユーザー向けの「チューニングメニュー」の開発も手掛けた仲田直樹氏。
「日産に入ってからずっとエンジンのコンピュータ系制御をやっていたこともあり、ニスモではSチューンやRチューン、ZチューンのECM開発を担当させてもらいました。パフォーマンス的に400〜500psレベルを求めたわけですが、そこで注力したのはニスモチューンとしての信頼性でした」と述懐する。
仲田氏がニスモに移ったのは1998年7月。巷ではすでにRB26はチューニングベースとして人気を博しており、メーカー直系ワークスのニスモは後発となった形だ。それだけに、スペックだけにとらわれるのではなく、「保証」を付けてリリースするというメーカーとしての責任を果たす必要もあったのだろう。
「RB26には出力向上を許容するキャパシティがある反面、パワーを上げればサスペンションやブレーキなどいろいろとイジらなければならない部分も出てきます。ニスモではエンジンだけではなく、トータルバランスを整えることも考えて商品開発を行っていました」
幼少期にS50型プリンス・スカイラインの「丸テール」が目に焼き付き、免許取得後はDR30(ターボとNA)、R32タイプMなどスカイラインを乗り継いだという仲田氏。1994年にはBNR32Vスペックを手に入れ、人生初のGT-Rオーナーに。日産/ニスモでエンジン制御の開発を担当しながら、アフターマーケットの世界でGT-Rがどのように楽しまれているかも理解していたという。
「第2世代GT-Rは比較的エンジンパワーが出しやすい反面、サーキットなどをガンガン走ろうと思うとクーリング系や駆動系の強化など新たに手を加えなくてはならないことも出てきます。また、チューニングした上で普段の街乗りも両立するとなると、何かを妥協するとか、犠牲を払う必要も生じます。どこかの性能が突出したアンバランスを楽しむということを否定するつもりはないのですが、メーカーとしては安全に楽しむことができるということを第一に考えますので」と仲田氏は語る。
第2世代GT-Rの集大成では手組みエンジンの可能性も模索
2000年、日産に復帰した仲田氏は、エンジン開発部・高性能エンジン開発グループでBNR34最後の限定車「ニュル」のエンジン開発を担当した。それまで「レースベース車」のみに搭載されてきたN1仕様のRB26DETTである。仲田氏いわく、
「ニスモでスーパー耐久用エンジンなどもやっていたので、高精度にバランス取りされた手組みエンジンの素晴らしさはよく理解していました。ニュル専用のRB26はピストンやコンロッドなどに工差範囲内でバラツキの少ないモノを揃えて組む、いわゆるバランス取りを実施したことは知られていると思いますが、じつはニュルのRB26開発時には“手組み”の検討も行っていたのです」
「実際に試作エンジンも製作しましたが、高回転域はいいものの、一般のお客さまにその違いが伝わるかどうか難しい面があり、量産の生産性を考えると厳しいということから採用は見送りました」
その後、仲田氏はR35開発チームに加わり、VR38DETTを担当することに。全天候型「マルチパフォーマンススーパーカー」を目指すR35専用のユニットに求められたのは「Tuned by 日産」とも言うべきハイパフォーマンスな高性能エンジンだった。そこではRB26にも関わった氏の経験が大いに生かされることになったのである。