誕生50周年を迎える国産車とは
19世紀末にクルマが“発明”されて約130年。ここ数年は「100年に一度の変革期」とのフレーズが氾濫していた気もしますが、新年を迎えたのを機に50年前のクルマ……まずは国産車を振り返ることにしました。
2リッター以下のスポーティなクルマがたくさん生み出された
太平洋戦争の終戦を敗戦国として迎えたわが国のモータリゼーションは、1950年代の初めに純国産を目指したトヨタと、オースチンやヒルマン(ともにイギリス)と技術提携した日産といすゞの各社がけん引する格好で大きな進歩を始めることになりました。
その後1950年代後半(昭和30年代)からは高度経済成長もあり乗用車生産も倍々ゲームで増えていき、それが高度経済成長を下支えする好循環を繰り返していきます。車体もエンジン排気量もより大きなものへとユーザーのニーズがシフトしていき、結果的にスポーティなモデルが続々登場してくることになりました。
今から半世紀前、1973年に登場したモデルはそんな一面を持っていたのです。ただし自動車税が高価で、1989年に改定されるまで、3ナンバー車は排気量が3L以下でも8万1500円と現行料金体系2.5L以下で4万5000円、3L以下で5万1000円に比べてはるかに高価であり、大排気量/ハイパワーと言ってもマーケットにおいては、エンジン排気量が2L以下の、いわゆる5ナンバー車が圧倒的多数を占めていました。
こうした時代背景であった1973年にデビューしたモデルとしては、1月に登場した日産バイオレットと2月に登場した三菱ランサー、そしてともに4月に登場したトヨタのセリカ・リフトバック(LB)とパブリカ・スターレットなどが挙げられます。
日産バイオレット
バイオレットは、これがまったくのブランニューモデルでしたが、現実的には4代目ブルーバード(510系)の後継モデルという位置づけです。5代目となるブルーバードU(610系)がアッパーミディアム・クラスへとサイズアップしたことで空白となったミドル・クラスのセダンとしてデビュー。
710系というタイプネームがそれを証明しています。もう少し具体的にメカニズムを紹介していくと、510系のそれを流用したプラットフォームに2/4ドアセダンと2ドアハードトップ、3種のボディを架装し前後サスペンションも510/610系から流用したマクファーソン・ストラット式とコイルで吊ったセミトレーリングアーム式。ただしトップグレードのSSS系以外ではリアサスペンションはリーフリジッドにしてコストカットが図られていました。
搭載されたエンジンは直列4気筒SOHCのL14とL16で、SSS系では1595cc(ボア×ストローク=83.0mmφ×73.7mm。最高出力は115ps)で、電子制御式燃料噴射装置を組み込んだL16Eが搭載されていました。ブルーバード510系の後継モデルらしくラリーでも活躍し、1977年のサザンクロスラリーでラウノ・アルトーネンが優勝を飾っています。
三菱ランサー
1カ月後にデビューした三菱ランサーも、バイオレットと似たような誕生の経緯がありました。つまりミドル・クラスの初代コルト・ギャラン(A53/54系)がモデルチェンジによってアッパーミディアム・クラスの2代目ギャラン(A112/114/115系)へとサイズアップ。これを受けて登場したミドル・クラスのセダンでした。
さらにランサーの場合は2年前に登場していたギャラン・クーペFTOのセダン版、との意味合いもあったようです。メカニズム的にはやはり2代目ギャランやFTOから転用されたコンポーネントが多く、サスペンションはコンベンショナルなマクファーソン・ストラット式とリーフリジッドの組み合わせで、搭載されたエンジンは1.2LのOHV(ネプチューン)と1.4L/1.6LのOHC(サターン)で、半年後に追加設定された1600GSRでは1597cc(ボア×ストローク=76.9mmφ×86.0mm。ツインキャブを装着して最高出力は110ps)の4G32、通称サターンエンジンを搭載していました。
これもまたバイオレットと同様ですが、ランサーもラリーで活躍したイメージが強いモデルでした。1973年に挑んだサザンクロスラリーではデビューイヤーながら1-2-3-4フィニッシュを飾るなどライバルを一蹴。1976年まで4連覇を果たしました。
またデビューした1973年から始まった世界ラリー選手権のサファリでは、ジョギンダ・シンが見事初優勝。1976年には1-2-3フィニッシュでマイスターぶりをアピールしています。