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58年前のロータス「エラン」に試乗して分かった「スポーツカーの真髄」とは? 「軽さこそすべて」は本当でした【旧車ソムリエ】

1965年型ロータス・エランS2(シリーズ2)

「ライトウェイトスポーツカー」を身近な存在にした立役者

「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。

 今回テストドライブさせていただいたのは、1960~70年代スポーツカーの名作ロータス「エラン」である。この時代、世界を席巻した英国ライトウェイトスポーツカーの中でも代表格とみなされつつも、ほかのスポーツカーたちとはまったく異なる思想のもとに作られた名作の真価はどこにあるのか? しっかりと見定めることにしよう

ロータスを一流スポーツカーメーカーに推しあげた名作とは

 1957年に登場したロータス「エリート」は、その独創性と美しさ、そして何より高い性能をもって識者から高評価を獲得したものの、FRPモノコックという革新的な車体を持つがゆえの剛性不足やこもり音、コストの高騰にも悩まされていた。また、世界最大のスポーツカー市場だった北米からは、オープンモデルを求める根強いリクエストがあったのだが、それはFRPモノコックを採用する限りは、どうあっても無理な相談。ロータスには、セパレートフレームを持つ新型車の開発が望まれていたのだ。

 このような状況のもと、1962年秋にデビューした新型車が「タイプ26」こと初代「エラン」。その技術的アプローチは純粋主義的なエリートにも劣らない、じつに独創的なものだった。「エリーゼ」以前のロータス製市販車の大半はバックボーンフレームを持つが、初代エランこそがその開祖だったのである。

 エランの設計で大きな役割を果たしたとされるのが、フォード出身のデザイナーで、エリートの開発中途からロータスに参入したロン・ヒックマン。彼は鋼板を溶接によって組み上げたY字型バックボーンフレームに、エリートで経験を得たFRP製ボディシェルを組み合わせ、高剛性・軽量の車体を創り上げた。一方ボディデザインについては、かつてはエリートのボディを監修したジョン・フレイリングによるとする文献もあったが、現代ではこちらもヒックマン主導だった、というのが定説。繊細さや優美さではエリートに譲るが、よりプラグマティックな魅力を得ることになる。

 一方パワーユニットは、フォード「コーティナ」用116E型エンジンに、コヴェントリー・クライマックスの技術者ハリー・マンディも開発に協力したとされる自社製DOHCヘッドを組み合わせた傑作「ロータス・ツインカム」。英国内マーケット向けには1498cc/100ps、北米を中心とする輸出用は1558cc/105psでスタートしたが、デビュー後ほどなく後者に統一されることになった。

 当初のモデル、通称「シリーズ1(S1)」はオープンボディのみのラインアップとされたが、完成車で1495ポンド(当時の邦貨に換算すると約150万円)、購入者が自身で組み立てるキットフォームでは1095ポンド(当時の邦貨換算約110万円)という、エリートと比べれば格段にリーズナブルな価格に。さらに、当時としては先鋭的なDOHCエンジンのもたらす高性能、そして、ロータスならではの卓越した操縦性などの相乗効果により、大ヒットを博した。

 その後1964年秋には「S2」に進化。さらに翌1965年になると、「タイプ36」の開発ナンバーが与えられたフィクストヘッドクーペ(FHC)モデルも登場する。従来からのオープンはドロップヘッドクーペと称されたが、1966年には新ボディに移行。FHCともども「S3」を名乗る。

 そして1968年に移行した「S4」が1973年に生産を終えるまでに、歴代エランの総生産台数は1万2224台に到達。田舎町ホーンジーのホテルの馬小屋から出発したロータスを、周囲のバックヤードビルダーから数段も抜きん出た存在へと押し上げる、最高の原動力になったのである。

圧倒的な軽さと卓越したバランスの妙なる調和

 ロータス・エランに乗るのは久方ぶりのことだったが、このクルマは乗るたびに感動を新たにしてくれる。今回の取材にご提供いただいたのは、1965年型のシリーズ2(S2)。数年前にフレームを交換する大規模なレストアを施したのち、現在に至るまでメカニカルコンディションは完調で、まさしくエランの神髄が味わえる1台といえよう。

 1950~60年代、雨後の筍のごとく英国内に数多く勃興しては消えていったバックヤードビルダーのなかで、ロータスは今なお存続しているだけあって、ボディ内外のつくりは当時から比較的まともな部類。それでもFRP製の華奢なボディを壊してしまわないように気を遣いつつ、地を這うような低い着座位置のシートに身を沈める。

 そしていよいよ、1558ccのロータス・ツインカムに火を入れる時がやってきた。

 このエンジンは、1960年代のDOHCにウェーバー製気化器という組み合わせから想像されるより遥かに扱いやすく、始動性も良好。低回転域からクライマックスまで、いかにも4気筒らしい弾けるような快音とともに気持ちよく回りつつ、スムースにトルクを生み出してくる。

 とはいえこのクルマの真骨頂は、やはり当時としては先進的なシャシーのもたらす、シャープなハンドリングにあるというべきだろう。

 クルマが動き出した直後には、意外なほどソフトな乗り心地に驚かされるかもしれないが、速度を上げてゆくにつれてダブルウィッシュボーンの前脚、エリートの「チャップマン・ストラット」からロワーウィッシュボーンで支えるストラットに変更された後脚ともによく動き、ロードホールディングが抜群であることが判ってくる。

 そして適度にシャープなステアリングがもたらす、「ヒラリヒラリ」とした軽快な身のこなし。あるいは「カチカチ」という擬音がピッタリとくる節度感に富んだギヤシフトまで、すべての操作系が繊細ながらピタッと決まるさまは、この時代のスポーツカーの中でも世界最高峰のひとつ……と断言してしまいたくなるのだ。

 そしてエランが身上とするもうひとつの要素、約640kgという圧倒的な軽さも、このクルマの伝説性を実感させてくれる。エンジンのパワーやトルクは、半世紀前の1.6Lゆえに大したものではないものの、車体の軽さはそれを補って余りある。アクセル操作にも、ブレーキ操作にも、そしてステアリング操作にもピピっとレスポンシブに反応してくれる。

 ただしこの卓越したバランス感覚は、例えばタイヤを太くする。あるいは不用意にパワーアップしてしまえば、あっという間に崩れてしまう繊細なものでもあるようだ。

 それゆえに、サーキットではこの繊細なキャラクターが邪魔をして、結果として純レーシングモデルである「ロータス26R」が誕生するに至ったという事実も頷けるのだが、ことロードカーとしてエランS2を見れば、その絶妙なバランスに感心するほかあるまい。

 誰もが認める60’sスポーツカーの金字塔、ロータス・エラン。あらゆるジャンルの乗用車のパワーウォーズが飽和状態となり、スポーツカーの存在意義が問われつつある今こそ、この素晴らしき妙なる調和を再認識すべき、という結論にたどり着いたのである。

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