伝説の開発者たちが手掛けたモデルも存在
4代目C31型の開発を担当したのは、かの櫻井眞一郎氏。次のC32型は伊藤修令氏が責任者を務めた。それゆえ、クルマとしての出来はよかったが、前者はヨーロッパ寄り、後者はアメリカ寄りのデザインが災いしたのか、販売は今ひとつだった。キャッチフレーズは、4代目が空力にこだわった(Cd値0.38)ことから、「アウトバーンの旋風」。5代目はアメ車っぽさゆえ「ビバリーヒルズの共感ローレル」だった。また、4代目は足踏み式のサイドブレーキやタイマー式のパワーウインドウが世界初だった。
スポーツグレードといえばメダリスト
ローレルのスポーツグレードといえばメダリストで、4代目ではターボメダリストもあった。ただし、正確には高級な装備のスポーツサルーン的な仕立てで、本格的なスポーツグレードではなかった。それゆえ、先代日産「ノート」の上級グレードとしてメダリストの名称が復活していた。それに対して6代目から加わったクラブSのほうがスポーツグレードだった。
セフィーロとのキャラクター分けが曖昧に……
あか抜けたスタイルで人気となった「セフィーロ」とキャラが被りまくったのは、今あらためて考えてみても失敗だったように思える。食い合う形にもなってしまい、結局2000年に入ったところで消滅してしまったのは残念だ。