今も支持される国産セダンの名車
最近では消滅しつつあるセダン。クルマの基本とも言われた形式だけにさびしい限りだが、逆にセダンが輝いていた時代は長く続いていて、1990年代までは多くのモデルが各メーカーから発売されていた。もちろん名車と言われる車種も多く存在する。そのなかでも日産はセダンを多くラインアップしていたメーカーで、今でも旧車ファンに愛されるモデルは多い。YouTubeでお笑い芸人のバッドボーイズ佐田氏の「ローレル」が注目されているのはいい例だろう。今回はその、日産のアッパーミドルクラス、ローレルを振り返ってみよう。
初代はブルーバードそっくり
初代であるC30型が登場したのは1968年のこと。ちなみにローレルの型式には「C」が付いて、8代目となるC35型(2002年)で消滅した。その間の型式は130や230など、日産の他車同様のパターンだった。
初代のデザインは前年の1967年に登場した510型の「ブルーバード」にそっくり。偶然ではなくあえて似たものとして、流れるテールはローレルにも採用された。1.8Lと2Lエンジンを搭載し、ブルーバードの兄貴分として登場したわけだ。
2代目で大胆に変身し「ブタケツ」登場
クリーンなセダン路線で行くかと思いきや、ベースが共通の「スカイライン」ともども重厚感あふれるデザインに。2ドアハードトップが今でも人気の「ブタケツ」で、当時から暴走族にも愛されていた。ドライブ中に横を見たら、ローレルに箱乗りした首のない幽霊を見たという、口裂け女的な噂も……。セダンはその影に隠れた感があるが、グリルのデザインによりガメラと呼ばれた。エンジンはL型で最終的に2.8Lまで拡大されている。
ローレルと言えばピラーレスハードトップ
ハードトップのセダンというとトヨタが先行していた。挽回を図るべく、初代で追加設定されたのが、2ドアのピラーレスハードトップで世界初となる。そして4ドアでもBピラーレスにこだわったのがローレルで、C33型となる6代目ではなんと4ドアピラーレスハードトップのみという割り切りっぷり。Bピラーがないのに後ろのドアはどうやって付いているのかというと、柱が建てられていてそこにドアが付いていた。今なら安全性で絶対NGだ。
伝説の開発者たちが手掛けたモデルも存在
4代目C31型の開発を担当したのは、かの櫻井眞一郎氏。次のC32型は伊藤修令氏が責任者を務めた。それゆえ、クルマとしての出来はよかったが、前者はヨーロッパ寄り、後者はアメリカ寄りのデザインが災いしたのか、販売は今ひとつだった。キャッチフレーズは、4代目が空力にこだわった(Cd値0.38)ことから、「アウトバーンの旋風」。5代目はアメ車っぽさゆえ「ビバリーヒルズの共感ローレル」だった。また、4代目は足踏み式のサイドブレーキやタイマー式のパワーウインドウが世界初だった。
スポーツグレードといえばメダリスト
ローレルのスポーツグレードといえばメダリストで、4代目ではターボメダリストもあった。ただし、正確には高級な装備のスポーツサルーン的な仕立てで、本格的なスポーツグレードではなかった。それゆえ、先代日産「ノート」の上級グレードとしてメダリストの名称が復活していた。それに対して6代目から加わったクラブSのほうがスポーツグレードだった。
セフィーロとのキャラクター分けが曖昧に……
あか抜けたスタイルで人気となった「セフィーロ」とキャラが被りまくったのは、今あらためて考えてみても失敗だったように思える。食い合う形にもなってしまい、結局2000年に入ったところで消滅してしまったのは残念だ。