クルマ好きが夢中になったモデルが登場した1年だった
2023年1月に成人式を迎えられた皆さん、おめでとうございます。人も生まれてから20年経つと立派な大人になるわけですが、クルマもおよそ20年サイクルで大きな変革を迎えるものだったりします。
さて、今から20年前の2003年といえば、2代目プリウスが発売された年で、まだまだそんなに昔という気がしない(?)。そこで、今回は2023年に2度目の成人式を迎える、1983年にスポットを当てることにした。同年、日本では東京ディズニーランドが開園、ファミコンの発売、おしんがブームになるなどの出来事があった。そんな年にデビューしたクルマを振り返ってみよう。
トヨタ カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)
1983年デビューの1台目はなんといってもAE86。この年、トヨタは5代目「カローラ」「スプリンター」を世に送り出すが、こちらはFF化された最初のカローラだ。一方、同じカローラシリーズでも、レビン・トレノだけは、FRを踏襲した。シャシー自体は先代のTE71からキャリーオーバーでほとんど進歩はなかったが、エンジンはツインカム2バルブの2T-Gから、ツインカム4バルブの4A-Gに進化となる。
フレッシュマンレースからグループA、ラリー、ジムカーナ、ダートラといった幅広いモータースポーツで活躍するとともに、峠の走り屋達からも絶大な支持を受けた。ドリキン土屋圭市の愛車としても注目を集め、さらに、漫画「頭文字D」でも主役を張って、今日でも別格の存在として扱われている。
ホンダ バラードスポーツCR-X
AE86がFRスポーツの雄なら、この時代のFFスポーツで革新的だったのは、ホンダ「CR-X」。初代CR-X=バラードスポーツCR-Xは、1983年7月の登場した。バラードの派生モデルということになっているが、ベースは3代目シビックのワンダーシビックだ。
わずか2200mmのホイールベースに、800kgという軽量ボディが大きな武器で、アジリティの高さは「FFライトウェイトスポーツ」と名乗るのにふさわしい内容。エンジンは1.5L PGM-FIの110ps。セミリトラクタブルヘッドライトや世界初のアウタースライド式サンルーフ、ドライブコンピュータ+デジタルメーター、新しい時代を感じさせるデザインや技術的トライが見られたクルマで魅力的だった。
トヨタ クラウン(7代目)
もっともメジャーなキャッチコピーのひとつ、「いつかクラウン」とセットで1983年8月に登場したのが7代目「クラウン」。
シャシーは、フルフレーム4輪独立懸架が一番の特徴で、サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン、リヤサスペンションに初のセミトレーリングアームが採用(ロイヤルシリーズ)された。エンジンは、2.8Lの5M-GEUをはじめ11種類が用意されたが、目玉は2L直6の1G-GEU型ツインカム24。これを筆頭に主力エンジンはDOHCとなった。
2年後には、日本初のスーパーチャージャー搭載エンジン(1G-GZEU型)も追加されている。そのほか、4輪ESC(電子制御式スキッドコントロール)やABS標準装備(ロイヤルサルーンG)も話題となった。
スズキ カルタス
スズキの人気モデル、スイフトのルーツともいえる、初代「カルタス」がデビューしたのも1983年。小型車を求めていた提携先のゼネラルモーターズとの共同開発で生まれたクルマだ。北米では「シボレー・スプリント」の名前で販売された。
アウディ スポーツ クワトロ
今でこそ、4WD+ターボエンジンは最速・最強のパッケージとして認知されているが、その先鞭をつけたのが、アウディ「クワトロ」シリーズだ。クワトロは1980年のデビューだが、1981年からWRCに参戦し、1983年に現在のアウディスポーツ社の前身、クワトロ社を設立。
そのクワトロ社が、200台限定のホモローゲーション取得用モデルとして1893年に生み出したのが、「スポーツ クワトロ」。迫力あるブリスターフェンダーとショートホイールベース(クワトロより320mm短縮)が特徴で、エンジンは306ps/350Nmまでチューニングされた2.2L 直5DOHC4バルブターボを搭載した。
グループB仕様になったクワトロにより、1983年のWRCで、ハンヌ・ミッコラがドライバーズタイトルを獲得している。
ダッジ キャラバン
今でも続くミニバンブームの元祖ともいえるダッジ「キャラバン」が登場したのも1983年。日本でも知名度の高いシボレー「アストロ」よりも2年早いデビューだった。ダッジ キャラバンは、FFで3列シートの7人乗り。後席は片側スライドドアを採用し、まさにミニバンの原形だ。
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そのほか、ホンダがF1に復帰(第2期)したのも1983年で、当初のマシンは「スピリット ホンダ201C」。15年ぶりの復帰レースは7月のイギリスGPだったが、わずか5周でリタイアという結果に……。その年の最終戦からウィリアムズにエンジンを供給し、ケケ・ロズベルグが5位に入賞。これが黄金期の入口になっていく。
また、三菱「パジェロ」がダカールラリーに初出場し、市販車無改造クラス優勝したのも1983年(初代パジェロは1982年から発売)。
こうして振り返ると、過去40年の前半は、わかりやすく日の出の勢いを感じられたが、後半の20年は黄昏モードともいえなくもない。
だが、たとえ黄昏モードだったとしても、それがいつまでも続くわけではなく、カーボンニュートラルや安全性能のウエイトが増していっても、面白いクルマは出てくるはず。これからの20年もクルマへの夢を持ち続けながら楽しんでいこう。