カフェレーサー仕様でインパクトがあった!
フォードと聞くとアメリカの車両を思い浮かべる人が多いと思うが、1980年代にはフォードがマツダに資本参加したことによってマツダの販売チャンネルのひとつとして「オートラマ店」が登場。そこで販売する車両として、マツダ車をベースとして内外装を差別化したいわゆるOEM車が多く存在していた。
オートラマ店で販売するコンパクトカーとして1986年に販売をスタートしたフェスティバは、ベースとなるマツダ車の存在しないオリジナル車種として開発され、日本だけでなくアメリカやオーストラリアでも販売されたほか、韓国ではキアからプライドとして、欧州ではマツダからMazda121として販売されるなど、ワールドワイドに販売されるモデルとなっていた。
そんなフェスティバはコンパクトカーでありながら、リアシートスライドや当時としては豊富なシートアレンジ、そしてキャンバストップ仕様を用意するなどしたことで幅広いユーザーから支持を集めオートラマ店を代表するヒット車種となった。だが、実用グレードのほか、1.3Lのツインカムエンジンを搭載するGT系グレードも設定。
そしてGT系の上級グレードであるGT-Xをベースに300台限定で販売されたのが、1991年3月にリリースされた「フェスティバ GT-A」であった。
フロントマスクは丸型ヘッドライトが特徴的
このGT-Aはフェスティバのエクステリアをドイツのスカラ社の手によってリデザインされたものとなっており、フロントマスクは丸型ヘッドライトが特徴的なクラシカルなものに、リアはハッチ部分に備わるナンバーポケットをバンパー部に移設する手の込んだ変更がなされていた。
また、外板色をイタリアのスポーツカーに多く採用されていた鮮やかな赤とし、フロントマスク部分のみホワイトとするアグレッシブなカラーも話題となった。これは実際のレースカーにも採用例のあるもので、サーキットで自チームの車両を一目で判別できるようにするためのものだったのだ(ミニクーパーのボンネットラインなども同様の理由だった)。
ただ、さすがにインパクトが強すぎるということもあってか、フロント部分をボディ同色とした仕様も存在していた。2パターンから選択することが可能となっていたのは嬉しい配慮だったと言えるだろう。
そんなフェスティバGT-Aではあるが、当時としては攻めたデザインであったことも災いしてか大人気モデルとはならなかった。また、フルモデルチェンジを果たした2代目モデルは初代ほどのヒットを記録することも叶わず、デミオのOEMモデルとなる「フェスティバ・ミニワゴン」に統合されてオリジナルモデルは姿を消すこととなってしまった。