ベルトーネが製作した「スパイダー」+「クーペ」=「スピカップ」
かつての日本ではプロダクトデザインという概念は希薄で、国産自動車メーカーが「デザイナー」という専門の職種を採用するようになったのは一般的には第二次世界大戦後、まがりなりにもモータリゼーションが発展してきてからのことである。今では世界の自動車メーカーで活躍する日本人プロダクトデザイナーも少なくないが、そんな世代のデザイナーにも大きな影響を与えていたのが、1960年代後半から70年代にかけてのモーターショーに展示された、数々のコンセプトカーたちである。
ワンオフデザインのスペシャルモデルはモーターショーの華
馬車の歴史が長く、そのコーチワークを行う工房も古くから発展していた欧州。それらの工房は「馬なし馬車」の時代になってからは、裕福な顧客の求めに応じて高級車メーカーが製造したベアシャシーに独自のデザインのボディを架装するコーチビルダー(=カロッツェリア)へと進化していった。
一方、王侯貴族が特注の馬車をオーダーする歴史を持たなかった日本では、「ワンオフのデザインをまとったスペシャルなモデル」の意味が一般には理解されにくかったようだ。
そんな「ワンオフデザインのスペシャルモデル」というジャンルへの理解がわが国でも浸透していった理由は、やはり世界各国で開催されるモーターショーで展示されるショーモデル、コンセプトカーの存在であろう。それは、独立したカロッツェリアの仕事がごく一部の王侯貴族のための装飾ではなく、マーケットの嗜好を見極めながら自動車産業全体に影響を与えるムーブメントの創出を図るものになっていった時代の流れとも軌を一にする。
BMW E3をベースにガンディーニが斬新なボディをデザイン
そんな時代に生み出されたコンセプトカーのひとつが、BMW E3系リムジーネ(=サルーン)のシャシーをベースに作られたこの「2800スピカップ(Spicup)」だ。同車が初めて発表されたのは1969年ジュネーブショー、カロッツェリア・ベルトーネのブースである。
当時同社に在籍していたジョルジェット・ジウジアーロがBMW「3200CSクーペ」のデザインを担当していたこともあり、良好な関係を築いていた両社が、「格納式ルーフ」というアイデアを提案するベースとしてBMWの高級大型サルーンを選んだのはごく自然な流れと言えよう。
ちなみに車名の「Spicup」とは「スパイダー」と「クーペ」、ふたつのボディ形態を組み合わせた造語。シャシー・ナンバーは「V.0010」で、この「V」はドイツ語の「Versuchswagen(試作車)」の略である。
その後、ジウジアーロがカロッツェリア・ギアに移ったため、スピカップの仕上げはマルチェロ・ガンディーニに託された。まぶたの付いた半開きのヘッドライトはアルファ ロメオ「モントリオール」やランボルギーニ「ハラマ」にも共通する、いかにもガンディーニの仕事だ。
そしてなによりスピカップの大きな特徴であるステンレス製のパネルがロールバーに収納される斬新なルーフは、ショーの大きな話題となった。1969年のジュネーブショーで初公開されたスピカップはその後、同年6月にはアラッシオで開催されたコンコルソ・デレガンツァにも出展。さらに同年のフランクフルトモーターショーにも展示され好評を博した。このルーフのアイデアは、後年ベルトーネが手がけたフィアット「X1/9」のデザインや、ホンダ「CR-Xデルソル」の機構にも影響を与えたようにも思える。