新車価格が安価で高性能だったこともあり人気を博した
マツダは、1967年に初のロータリーエンジン搭載車である「コスモスポーツ」を発売した。ヴァンケル型といわれ、繭型のケースの内側をおむすび型のローターが回転する方式でガソリンを燃焼するロータリーエンジンは、ドイツのNSU(のちに他社との連合でアウディになる)が最初に採用し、ロータリーエンジン車を市販した。だが、技術的課題をなかなか解消できず、そこにマツダが現われ、特許を取得して量産への道を拓いたのである。
コスモスポーツは、2人乗りのスポーツカーだったが、より販売台数を稼ぐため、ファミリアロータリークーペが次に発売された。マツダは、コスモスポーツでもロータリークーペでも、レース活動を行っている。そして、技術を磨き、またロータリーエンジンの魅力を世界へ発信していた。
第3弾は、ファミリアの格上となるルーチェにロータリークーペを追加し、次いでカペラが誕生する。カペラもまた、レース活動を行っていた。しかし、一躍その雄姿をレースで実証したのは、続くサバンナであった。RX-3は輸出名で、国内では単にサバンナと呼ばれた。そしてサバンナRX-7へとつながる。
日産スカイラインGT-Rの連勝を阻止したサバンナ
サバンナRX-3は、当時、レースで破竹の勢いであった日産スカイラインGT-Rの連勝を阻止したことでその名をあげた。マツダは、以前からファミリアのロータリークーペでGT-Rに戦いを挑んでいたが、果たせず、満を持してのサバンナ投入であったといえる。サバンナの前に売り出されたカペラの時代、それまで10A型と呼ばれ、コスモスポーツの時代から継承されたエンジンに比べ、より排気量が大きく高性能になったこともGT-Rの連勝阻止につながったといえる。
加えて、サバンナは市販車でも軽量で軽快な走りが魅力であり、カペラより俊足であった。エンジン性能だけでなく、シャシー性能の向上も、GT-Rの連勝を阻止することにひと役買ったといえるだろう。
サバンナは車体が軽く俊敏さを感じられた
学生時代、同級生がサバンナを新車で買い、運転させてもらったことがある。スカイラインGT-Rには乗ったことがなかったが、2000GTは運転の経験があり、それに比べサバンナは車体が軽く俊敏さを感じさせた。初の体験となったロータリーエンジンは、レシプロエンジンのようなパンチ力はなかったが、いったいどこまで回り続けるのかという滑らかな回転で出力を高め、速度に乗せていった。スカイラインとサバンナは、まったく異なる性格を持ちながら、それぞれの長所を活かしてレースを戦っていたのだと、雌雄を決するその様子を垣間見た気がした。
ちなみにサバンナの新車価格は、スタンダードが60万円(1971年12月)、クーペボディのGS IIが75万円(1971年12月)、GTが79万5000円(1972年12月)だったのに対して、ライバルの日産スカイラインH/T 2000 GT は89万5000円、日産スカイラインH/T 2000GT-Rは154万円(ともに1971年12月)。価格が安価だったことも人気の理由のひとつだった。
1971年に誕生したサバンナRX-3は、また、1970年に世界を揺るがした排出ガス規制にロータリーエンジンが対処可能であることを示したクルマであり、当時は、ほかの自動車メーカーもロータリーエンジンを学ぼうと必死になった時期があった。排出ガス規制を達成し、なお高性能でもあるという、次世代に夢をつなぐ車種でもあったのだ。