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21世紀に間に合ったトヨタ初代「プリウス」が「ハイブリッド」の時代を作った! ディーゼルターボよりも正しい選択だった!?

フロントはスラントしたボンネットが特徴的だ

ガソリンエンジン車の2倍の燃費性能を目指して開発された

世界初の量産市販ハイブリッド乗用車として1997年に発売されたのが、トヨタ・プリウスである。5ナンバーの4ドアセダンだった。2代目から、今日に続く4ドアクーペのようなハッチバック車となった。

初代プリウスは、21世紀を前に、ガソリンエンジン車の2倍の燃費性能を目指して開発された。ただし、当初からハイブリッド車(HV)を構想した訳ではなく、あらゆる選択肢のなかから絞り込まれていった。次世代を摸索する動きが、当時のトヨタにはあった。そして、プリウスの開発を指揮したのが、現在の会長である内山田竹志氏である(2023年4月に退任の予定)。

それまで、ハイブリッドというと、シリーズ式とパラレル式の分類しかなかったところに、両方の利点を併せ持つシリーズ・パラレル式を構築したのも、プリウスが最初である。シリーズ式とは、日産e-POWERなどに通じ、エンジンは発電に使い、駆動はモーターで行う方式だ。パラレル式は、エンジンもモーターも駆動に使う。プリウスのシステムは、パラレル式を基本としながら、もうひとつのモーター/発電機を持つことで、シリーズ式のように走行中に発電して電力をバッテリーに貯えることもできる。

トヨタはパナソニックと合弁会社を設立

初代プリウスの話題は、新発想の駆動系だけにとどまらない。ニッケル水素バッテリーを最初に車載し、これを駆動用として利用したのもプリウスからである。そのために、トヨタはパナソニックと合弁会社を設立し(パナソニックEVエナジー社/現・プライムアースEVエナジー社)、自らバッテリー生産にも乗り出した。

車体は、それまでのカローラやコロナより背の高い4ドアセダンとし、グリルレス的な外観は独特の存在感があった。快適移動空間という構想もあったはずだ。ハッチバックではなく荷室と客室を分けるセダンとしたのは、ハイブリッド化によって車内の静粛性が高まることを考慮し、荷室側からの走行騒音の流入を抑えたかったのだろう。その意味で、上質な5ナンバーセダンであった。

シートは専用開発だった

車内は、センターメーターが目新しかった。前方の視認と、メーター確認との遠近差を少なくできるというのが、センターメーターの利点として語られた。その後、フロントウインドウにメーター情報を映し出すヘッドアップディスプレイなども世に現れるが、いまだに採用例は限定的だ。

忘れがたいのは、座席の作りのよさだ。それまでのカローラやコロナなどの座席を流用するのではなく、プリウスのために開発されていた。その座り心地は、欧州車のように的確で、なおかつ硬すぎず、柔らかに体を迎え入れ、心地よかった。

一方、できたばかりのハイブリッドシステムは、回生による減速とブレーキによる制動との制御にまだ開発代があり、違和感があると評する声もあった。だが、ハイブリッドに限らず目新しいことには多少の違和感はあるもので、改善項目であっても目くじらを立てるほどではないと私は思っていた。それ以外は、エンジンとモーターの協調制御がよくできていた。

2代目以降にHV人気という時代をつくったプリウス

また欧州メーカーは、日本より高い欧州の速度域では必ずしも燃費がよくないとか、エンジンとモーターの両方を車載することで原価が高くなり、過渡的な商品で本命ではないと論評した。そして既存技術で対処しようと、ディーゼルターボ車に力を注いだのだ。だが、たとえ燃費は改善できても、有害物質の排出と出力の両立が難しく、結局、2015年のフォルクスワーゲン(VW)の排出ガス性能偽装問題に行き着く。そして今日に至り、欧州メーカーもHVを販売することになった。

「21世紀に間に合いました」というのが、当時の初代プリウスの宣伝文句であり、215万円で売り出された。その価格設定も、「21世紀にGO」という語呂あわせになっていた。1997年は、COP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)において、京都議定書が採択された年でもある。発売当初は苦戦したが、2代目以降にHV人気という時代をつくったクルマである。

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