日産入社してから46年、その半分以上の期間愛でてきた4ドアのGT-R
R32型スカイラインGT-Rの開発初期から、『日産自動車』車両実験部のテストドライバーとして長年GT-Rの走りを調律してきた加藤博義氏。プライベートでの愛車「R33型スカイラインGT-R オーテックバージョン」との付き合いは約24年間にも及ぶという。これから世に出る日産の最新モデルの性能に磨きを掛けることを生業としてきた加藤氏が、第2世代GT-Rで唯一の4ドアセダンとなるR33オーテックに今も乗り続ける理由を聞いた。
(初出:GT-R Magazine 166号)
R33でGT-Rの実験担当に返り咲き、「4ドアを出す」と初めて聞いた時には……
歴代GT-Rにはそれぞれに奥深いストーリーがある。造り手の「顔」が見え、「その想い」も伝わってくる。クルマとしての素晴らしさは言うに及ばず、そういった背景があるからこそハートが揺さぶられるのだと思う。そんな造り手の一人である『日産自動車』車両実験部の加藤博義氏もまた、GT-Rファンにはすっかりお馴染みの「顔」であろう。
昭和51(1976)年に日産に入社し車両実験部に配属。以後、330型セドリックやS130型フェアレディZの実験チームを経て、1980年代中盤からは第2世代GT-Rの肝とも言える電子制御のトルクスプリット式4WDシステム「アテーサE-TS」の開発を手掛けた。
「確か1985年か1986年だったと思います。R31スカイラインに試作のアテーサE-TSを積んだ試験車があって、ステアリングの舵角や車速などによってどのように挙動が変化するのか、どうすれば最適な制御ができるのかを来る日も来る日も実験していました。後にそれがR32の試作車に変わるわけですが、われわれテストドライバーにはそれが“GT-R”であることは通達されておらず、1989年5月にR32スカイラインが正式発表されたときに初めて知りました」と語る加藤博義氏。
R32のネガ潰しと電子制御の進化でR33GT-Rは確実に性能が向上した
当時のプライベートカーはC32型ローレルの4ドアハードトップ。2.8Lの直6ディーゼルエンジンを積んだモデルだったという。
「1987年に長女、1988年に長男が生まれたこともあり、4人家族のファミリーカーとしてベストな愛車でした。もちろん、R32GT-Rが出たときには欲しい気持ちもありましたが、当時の自分には高額でしたし、そもそもわが家に2ドアクーペという選択肢はなかったですね」
1993年のR32マイナーチェンジ時に新グレードのVスペックが追加されたころ、加藤氏は他車種の実験担当に異動。しかし、R32の実験主担だった渡邉衡三氏がR33スカイラインの商品主管に着任すると、再びGT-Rの開発チームにカムバックすることになった。
「普通、同じ車種を2代続けて担当することはありません。なので、次のR33スカイラインにGT-Rがあるとしても自分が担当することはないだろうと思っていました。そうしたら、渡邉さんがどうやらわたしの上司に掛け合ったらしく、再びGT-Rの実験を担当することになったのです。当時は『E-TSのことを知ってるから呼ばれたのかな?』くらいに思っていましたけれどね」
第2世代GT-Rの2車種目として、R32の弱点であったアンダーステア特性を修正すると同時に、Vスペックでは電子制御のアクティブLSDを含む「アテーサE-TSプロ」が新採用されるなど、R33GT-Rは着実に進化を果たした。
「今もそうなのですが、2~3年経つとできるようになることがいっぱい出てくるわけです。『32のときは無理だったけど33では採用できそうだぞ』といった具合に。電動ハイキャスもそうですし、アクティブLSDというのはその最たるモノでした。ただ、トラクションという面で言うと機械式のLSDはすごい性能を持っている。電子制御のアクティブLSDはそれに追いつけ追い越せで最後まで粘り強く開発を続けました」
ボディ剛性の強化にも注力した。どこをどう補強すれば走りが良くなるのか。手作りの試作補強部品を製作して取り付け、実際に走ってその効果を探る。そうした地道な努力が結実し、R33の走りの性能はR32から確実にステップアップした。ある日、加藤氏はR33GT-Rに4ドアのモデルが追加されることを知らされ、
「商品主管の渡邉衡三さんに電話をかけて『ブランド潰しをしてどうするんですか!』と生意気にもイチャモンを付けました」と語る加藤氏。果たして、その真意とは?
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「4ドアの高性能セダンが欲しいお客さまにはシーマがある。当時、4ドアのGT-Rを出すことには個人的には反対でした。しかし、今となっては渡邉さんと話すと『あんなことを言っていたくせに、今でも4ドアのGT-Rに乗ってるんだよな』とイジられますけれどね」と笑う加藤氏。
スカイライン生誕40周年を記念した限定車「R33スカイラインGT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」は、日産自動車の特装車部門を受け持つ『オーテックジャパン(当時の社名。現・日産モータースポーツ&カスタマイズ)』主導で企画がスタート。日産の車両実験部も開発を手伝うことになったという。
「R33GT-Rの2ドアはドイツ・ニュルブルクリンクでのテストも含めていろいろとやってきたこともあり、車体剛性の強化には経験値がありました。最初に4ドアの試作車に乗ったとき『やっぱり車体が弱いな』と思いましたね。2ドアのボディをベースにしているとはいえ、開口部があれだけ広くなると致し方ない。そこからいろいろと補強を入れていきました」
R33オーテックは1998年1月に正式発売となった。完成車に最初に乗ったときの印象はどうだったのだろうか?
「正直、『コレ、ウチのクルマにいいんじゃない?』と思いました。使い勝手もいいし、後席に子供二人も乗せられる。GT-Rとして初めて本気で欲しいと思ったクルマでした」
しかし、オーテックバージョンは限定車であったため、「日産の社員は買わないように」とのお達しがあったそうだ。
「日産ユーズドカーセンターに知り合いがいたので『33のオーテックが出たら教えてほしい』と伝えていました。そうしたら『座間に入庫した』との連絡があり、購入することを決めたのです」
「一生乗る」と決心して「NISMO大森ファクトリー」でフルリフレッシュを敢行!
その車両が現在も所有するシルバーのオーテックである。しかも、座間に入ってきたのは栃木の車両実験部にあった量産仕様の車両だったことがわかった。
「妻にスカイラインを買いたいと伝えたとき『GT-Rじゃないわよね?』と聞かれたんです。『いや、4ドアのスカイラインだ』とはぐらかして(笑)」
プライベートで初めて所有したGT-R。通勤にも使用し、冬場はスタッドレスに履き替えて雪道も走った。
「会社に行くためにGT-Rに乗るようになり、朝イチから仕事モードのスイッチが入るようになりましたね。自分のクルマだから足まわりのセットだとかいろいろと好きに触れるのもうれしかったです。まず最初にタイヤとホイールを換えて、そこからいろいろとモディファイを加えてきました」と加藤氏はうれしそうに話す。
走行10万kmが目前に控えた2011年、「NISMO大森ファクトリー』でエンジン/シャシーをフルリフレッシュ。トランスミッションもR34GT-R用のゲトラグ6速に換装した。
「はじめはそこまでやるつもりはなかったのですが、あの時に思い切って手を入れておいて本当に良かったです。」
リフレッシュ後の11年で走行は4万7000kmと以前よりペースは落ちたものの、今もプライベートカーとしてR33オーテックが活躍中。この先も手放すつもりはないという。その理由について、
「自分の中でこのオーテックが車両の評価軸のベースになっています。良いところも悪いところも、原因と結果がすべてわかっている。自分はこの33と一緒に育ってきたという感覚があります。勉強になりましたし、自分好みに仕上げても誰にも文句を言われませんから(笑)」
現在、車両実験部のテクニカルアドバイザーとして後進育成を手掛けている加藤氏。テストドライバーとして初めて「現代の名工」に選出された類い希なる評価能力はもちろん、今も加藤氏の感性を刺激するR33型スカイラインGT-Rの乗り味が、将来の日産車の味付けに反映されていくことを願う。
(この記事は2022年8月1日発売のGT-R Magazine 166号の記事を元に再編集しています)