スーパーカーの2トップとして切磋琢磨し誕生したフェラーリ365GT4/BB
ハイパフォーマンスとプレミア性をアピールする「スーパーカー」の世界王座を争うバトルは、1960年代半ばに始まり、73年に至高のバトルへと発展しています。今回は一方の雄、フェラーリ「365GT4/BB」を振り返ります。
挑戦者ランボルギーニと王者フェラーリの覇権競争が勃発
スポーツカーメーカーとしては後発だったランボルギーニは、すでにスポーツカーメーカーとして世界最高峰のポジションに就いていたフェラーリに挑戦し、それを凌駕することで自らのレゾンデートル(存在意義)をアピールすることになりました。
そこで最初の作品――あえて製品ではなく作品と表現しますが――となったランボルギーニ「350GT」(1964年)には、フェラーリの代名詞ともなっていたV型12気筒エンジンを搭載していましたが、フェラーリがまだシングルカム(V12なので2本カム)だった時代に350GTに搭載された60度V12は、ツインカム(同様にV12なので4本カム)を採用していました。フェラーリがツインカムを採用して応戦すると、ランボルギーニはV12エンジンをミッドシップマウントした「ミウラ」を66年にリリースし、また新たな境地を開拓していきます。
じつはフェラーリは、ランボルギーニ・ミウラよりも早く、1964年にはV12エンジンをミッドマウントした初の市販モデル、フェラーリ「250LM」をリリースしていましたが、これはGTカーとしてのホモロゲーション(車両公認)を得るためのモデルで、ロードモデルというよりもレーシングカーに近いものでした。また67年からはV6をミッドマウントした「ディーノ」をリリース。はるかに現実的なロードゴーイングスポーツでしたが、V12をミッドに搭載したランボルギーニ・ミウラに対してフェラーリのトップモデルとして覇を競うには、やはりV6エンジンのディーノには荷が勝ちすぎていたようでした。
V12エンジンをミッドシップして公称最高速は302キロ!
そんなフェラーリの、V12エンジンをミッドマウントした、ロードゴーイングスポーツのトップモデルとして1973年にデビューしたモデルが今回の主人公、フェラーリ「365GT4/BB」でした。じつはランボルギーニも、365GT4/BBの登場に照準を合わせたように最強モデルとなる「カウンタックLP400」をリリースしていて、70年代中盤からはフェラーリとランボルギーニ、スーパーカーの二強対決に最も熱が入った時代に突入することになったのです。
まずは1971年春のジュネーブショーでランボルギーニがミウラの後継となるカウンタックのプロトタイプ、「LP500」をお披露目しています。これに対抗するようにフェラーリも同年秋のトリノショーで、12気筒エンジンを搭載したモデルとしては初めてエンジンをミッドシップに搭載したフェラーリ「ベルリネッタ・ボクサー・プロトタイプbyピニンファリーナ」のワールドプレミアを実施しています。そして73年には365GT4/BB、翌74年にはカウンタックLP400の市販モデルが相次いでデビューし、スーパーカー2トップの、雌雄を決するバトルの火ぶたが切って落とされました。
話題を呼ぶことになったのは両車のパフォーマンスデータ(公称性能値)でした。最高出力は365GT4/BBが380psだったのに対してLP400は385psと5psだけLP400がリードしていましたが、最高速に関してはLP400の300km/hに対して365GT4/BBは302km/hと2km/hだけ365GT4/BBがリードしていたのです。
カウンタックの方が1年遅れでデビューしているので、365GT4/BBのパフォーマンスデータを上まわる数値をうたえばいいのに、とも思いますが、じつはLP400の市販モデルは1973年のジュネーブショーでお披露目されており、その際にパフォーマンスデータも発表されているので「後出しジャンケン」は無理だった、ということでしょう。ただし、双方ともにこのパフォーマンスデータは楽観的に過ぎたようで、ともに最高速は280km/h前後、といった辺りだろうというのが後日談として伝えられています。