4ドアセダンのマスターピース、BMW「5シリーズ」が生まれるまで
戦後「イセッタ」で臥薪嘗胆の日々を過ごしたBMWは、よりオリジナリティの高い「BMW 600」や、よりクルマらしくなった「BMW 700」を経て、1961年には「中興の祖」となる「BMW 1500」=「ノイエ・クラッセ」を投入。以後も高性能で高品質なセダンを続々とリリースしています。今回はBMW 1500から後継のE12型「5シリーズ」が生まれるまでをたどりながら、「3シリーズ」「6シリーズ」「7シリーズ」も派生してきた流れを振り返ります。
戦後BMWの「中興の祖」となったノイエ・クラッセ
BMWが戦後、大きく発展していくのをけん引した「ノイエ・クラッセ」ですが、モノコック・フレーム/ボディにBMWとしては初となるフロントのマクファーソンストラット式サスペンションを組み込んでいます。一方リアにはBMW 700などでノウハウを蓄積してきたトレーリングアーム式に手を加え、アームの回転軸を進行方向に対して直角から少し前進角をつけたセミ・トレーリングアーム式を考案して採用。当時としては革新的だったシャシーは、以後のBMW各車で定番となっただけでなく、コンサバなパッケージとしてライバル各社も使用するようになったのは有名なエピソードです。
こうしたシャシーに構築されたボディは、社内デザイナーのヴィルヘルム・ホフマイスターが担当。ジョバンニ・ミケロッティがコンサルタントとして関わっていて、奇をてらうことなく端正な4ドアセダンに仕立てられています。搭載されたエンジンは新設計の直列4気筒で1499ccの排気量を持っていました。開発を担当したアレクサンダー・フライヘル・フォン・ファルケンハウゼンはレーシングドライバーとしても大いに活躍していましたが、エンジン技術者としても優秀で、BMW 700のエンジン開発を統括。その発展版として1L直4エンジンを試作したこともあったのです。
BMW 1500用の直4エンジンは、その試作エンジンのノウハウが活かされたもの。タイミングチェーンで駆動されるカムシャフトはシリンダーヘッドに組み込まれ、BMWの4輪市販モデルとしては初のSOHC機構となっていました。OHVではなくOHCとしたのは、吸排気バルブをクロスフローに配置するためにはOHCの方がよりシンプルにレイアウトできる、との理由でした。最高出力は80hpでしたが、この出力目標を達成するために排気量を1.5Lに設定したとも伝えられています。これは1988年まで生産され、後に登場する3シリーズなどにも搭載されたBMW M10系エンジンの第一歩でした。
ノイエ・クラッセから様々な派生モデルが誕生
BMW 1500からは、やがていくつもの派生モデルが誕生しています。まずは1963年の9月には排気量を1773cc(最高出力90hp)に引き上げた「BMW 1800」が登場。翌1964年には1500が、排気量を1573cc(83hp)にまで拡大した「1600」にバトンタッチしています。同年にはさらに、1800をよりスポーティに仕上げた「1800TI」(ツーリスモ・インテルナツィオナーレ、独語でツーリング・インターナショナルの意)が登場。1800の圧縮比を8.6:1から9.5:1に引き上げるとともに、ソレックスのツインキャブを装着するなどして最高出力は110hpにまで高められていました。
バリエーションが増えていったのはエンジンだけではありません。4ドアセダンの1600/1800と同じシャシーに2ドア・ハードトップスタイルのクーペボディを、コーチビルダーであるカルマン社によって架装された「2000C/CS」が登場していたのです。BMWの社内デザインによるスタイリングで、異型の2灯式ヘッドライトに、キドニーグリルだけで構成されたグリルレスのフロントビューは、たしかに少しだけエキセントリックでしたが、細い前後のピラーなど、ノイエ・クラッセのクーペモデルと呼ぶに相応しいまとまりを感じさせていました。
このクーペモデルに用意されたエンジンは1800のボアを拡大した直4ユニットで、1990ccの排気量からシングルキャブ仕様で100hp、ツインキャブ仕様で120hpの最高出力を捻り出し、それぞれ2000Cと2000CSに搭載されていました。