OAMに日本のカスタム文化創世記を代表する仕様が登場
OAM(大阪オートメッセ)の会場で見るからに当時の不良が好みそうな族車スタイルの「セリカ」を発見。周囲から「この雰囲気は悪すぎるでしょ!!」との声が聞こえてきそうなマシンではあるが、実は日本の自動車カスタム文化における創成期と黎明期を、このセリカから読み取ることができる。それについて解説していこう。
「グラチャン族」から「暴走族」へ
「グラチャン族」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これは1970年代から1980年代にかけて富士グランチャンピオン・レース(グラチャン)に影響を受けた男達の改造──カスタム車文化を象徴するスタイルである。
彼らはレースカーを模したストリートマシンを独自に製作。グラチャン開催日になると、その改造車に乗ってレース観戦するために富士スピードウェイに向かって集会を開始。当時のサーキット周辺駐車場は、自慢の改造車を披露する場となり、それを見に来るギャラリーで埋め尽くされた。
ここで紹介するセリカは、そんなグラチャン族の意志を受け継ぎ、後に「暴走族」として変わっていく時代を象徴する仕上げ方を施した1台だった。ベースはトヨタTA22型ダルマセリカである。オーナーは知る人ぞ知る昭和の改造マニアとして有名なずっくんだ。
様々な昭和の改造車がある中で、“族”を強調する仕上げといえば、ワークスオーバーフェンダーに加えて、チンスポと3分割ウイングの組み合わせになる。しかし、それをさらに悪く見せているのがボディカラーに採用した藤色とナックルラインだ。
暴走族仕様を主張するならば、このカラーは当時から不良のテッパンカラー。また、ボディサイドに斜めに走らせるナックルラインは別名「暴走ライン」と呼ばれているから、族仕様を主張する意味において必要不可欠なカラーリングといえるだろう。
ボディカラーだけでなくラインや書体も当時物にこだわる
装着しているパーツがわりとシンプルなのも当時仕様の特徴。現在のようにパーツがたくさんある時代ではなかったので、付けられる物は工夫しながら現車に合わせて取り付ける。これがあたり前だった。
フロントマスクの印象が通常のダルマセリカと違って見えるのは、ヘッドライトを変更しているからだ。当時の族車はライトで個性的なアピールをする改造が流行っていて、このクルマは角目4灯ヘッドライトに交換することで、改造車として主張しながらシャープで鋭いフロントマスクを作り出した。
実のところ、現代の技術やパーツを使えば、もっと色々出来る事はたくさんある。だが、あくまでも目指したのは当時仕様なので、そこから外れるようなコトはしたくないというのが、ずっくんのカスタムに対する考え方だった。
このクルマ、細かい仕様については、当時のコトを良く知る大先輩“761”さんから指導を受けて作ったそうだ。その761さんとは製作途中でこんなエピソードがあったという。
「だいぶ出来上がった段階で761先輩に見せようとSNSで画像を送信……。すると早速のダメ出し。どうやら最初に貼っていたボンネットとドアに入れた数字の47(誕生年)の黒いカッティングが無いよねぇーということ。そして書体についてもダメ出しを食らってしまいまいした。
その指摘から、当時スタイルならココは赤じゃないと絶対にダメと言われたんですね。そして、書体もこっちで作って送ってやるよ、と」
こうした厳しくも愛情のある親切な先輩のお陰もあって、ずっくんのダルマセリカは見事な族車として完成した。
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当時の仕様をきっちり再現したい。それを大阪オートメッセの会場に持って行き、みんなに昭和ならではの改造車を見て感じてもらいたい。ずっくんは、このダルマセリカを作ることで、我々に日本のカスタム文化が開花した当時の、グラチャン仕様の意志を受け継ぐ暴走族仕様をリアルに伝え、教えてくれたように思う。