トヨタ自動車の社長交代でどうなる?
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。連載初となるキーワードは「佐藤恒治新社長」。最初に知り合ったのは「LC500」チーフエンジニアリング時代だという佐藤新社長の当時の「突破力」について語る。
幾多の荒波を超えてきた豊田章男氏
「マジかよ」
トヨタ自動車の代表取締役社長に、佐藤恒治氏(53歳)が就任する。公表されたその日、世間は大きな騒ぎになった。世界最王手の自動車メーカーであり、というよりも、日本一の大会社であり、年間の経常利益(儲け)は約4兆円。2位のNTTが約1兆7000億円だから、まさに日本の経済を牽引している。そんな大会社のトップ就任なのだから、世間が注目するのも納得である。ある意味、総理大臣よりも重要なポストなのかもしれない。
とくに、創業家出身の豊田章男氏が、快刀乱麻の大活躍。社長就任直後に襲った米国公聴会、東日本大震災、トランプ大統領就任、若者のクルマ離れ、ロシア戦争……。そんな荒波を乗り切った。
豊田章男氏の素顔は、拙著『豊田章男の人間力』(学研パブリッシング)に詳しく綴ったのでご覧いただきたい。副題は「海図なき航海」だ。巨大な船舶を荒波の中で渡りきった。すわ、次の船長は……? と視線が注がれるわけだ。
不可能と思えたレクサスLF-LCの市販化を実現した佐藤氏
佐藤氏は早稲田大学理工学部機械工学科出身。僕が知り合ったのは、氏がレクサス「LC500」のチーフエンジニアとして手腕をふるっていた時である。
2012年のデトロイトショーに1台のモデルが展示された。それがのちにLC500となるレクサス「LF-LC」だ。
世間はその美しいクーペに敏感に反応した。僕も当時はレクサスのブランドアドバイザーとして関わっており、レクサスのためにそのクルマが必要だと提案したことがある。
だが、それは不可能だと。開発に許された期間はわずか3年。そもそも走らせることを無視したデザインスタディだ。搭載するエンジンも組み込むサスペンションもない。いわば、カッコいいだけの張りぼてである。
そこで佐藤氏の手腕が発揮された。チーフエンジニアに任命されるとすぐに開発チームの組織を変えた。その美しいデザインが生命線だったLF-LCのために、時にはデザイン部と対立構図となる技術部との意思統一を図った。
当時トヨタには、「TS(トヨタスタンタード)」と呼ばれ、開発に絶対に護らねばならぬ約束事があった。「タイヤチェーンをまいてハンドルを大きく切って、岩のような縁石に高速で突っ込んでもタイヤがフェンダーに触れないこと……」などという、現実的には無意味なルールがあったのだ。だからトヨタのクルマは無骨だった。
その弊害を取り除くために、佐藤氏はTSに忠実な実寸大の模型を作った。それはボテっとしておよそLF-LCと呼べるものではなかったのだ。もちろんその後、例外的に無意味なルールは撤廃され、あの美しい「LC500」が完成する。
それは佐藤氏を語るほんの一例だが、そうした突破力がある。クルマへの深い愛情がある。海図なき航海の新しい船長として適任だと思う。
佐藤氏に関する逸話はまたいずれ。