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【ACシェルビー コブラ誕生物語】英国メーカーになぜアメリカンV8エンジンが搭載されるようになったのか

シェルビーアジア「コブラ APモデル」

イギリス車ベースのアメリカンスポーツカー

英国製のオープン2シーターは、趣味のクルマとして根強い人気があるようですが、数々のロードスターの中でただ1台、仲間外れ的な扱いを受けているのがACコブラ。バックヤードビルダー的に派生した英国の小規模メーカーは、エンジンを他メーカーからの供給に頼っているケースも多いのですが、ACコブラの場合はアメリカ製の大排気量V8を搭載していることから、そうなっているのかもしれません。今回はACコブラに注目です。

世界最古のメーカーともいわれるACは、種種様々な“クルマ”を生産

ACコブラを生産していた自動車メーカーはイギリスのAC、より正確に言うならACカーズ(AC Cars。ただしThe Weller brothersとして設立されたものの、社名は何度も改称され、一度ならずも清算された経緯を持っています)で、英国で設立された最も古い独立系自動車メーカーのひとつとして知られています。

ハリーとジョンのウェラー兄弟が1901年に興したThe Weller brothers社は1903年に20HPのツーリングカーを完成させていますが、メーカーとしての初作は1904年にリリースした、Auto-Carrierと呼ばれた配達用の3輪車でした。

ちなみに、このとき彼らは、すでにふたつ目の社名、Autocars and Accessoriesを名乗っていました。歴史が長いだけあって、そこから彼らが手掛けてきたクルマ達はまさに種種雑多、そして彼らが名乗ってきた社名も数多くありました。

また生産してきた商品も3輪の貨物運搬車から鉄道車両(レールバスと呼ばれる軽便モデルだけでなく“本格的”電車も!)まで多岐に渡っています。それを語るだけでも書籍が何冊も編めるほどの内容があって(個人的には英国の博物館を巡った際に何冊か購入しています)、今回はその辺りは端折って、2座スポーツのACコブラに関わる第二次世界大戦後のストーリーを続けることにしましょう。

1953年に満を持してオープン2シーターを販売

戦後、彼らがクルマ作りを再開したのは1947年のことでした。クルマはA.C.2-Litreと呼ばれる直6エンジンを搭載したサルーンで、最初は2ドアのみでしたが1952年には4ドアも登場しています。待望のスポーツカーが登場したのはその6年後、1953年のこと。

A.C.Ace(ACエース)と名付けられたオープン2シーターで、最初はACが終戦直後に開発した2Lの直6 OHCを搭載していましたが、1956年からはブリストル製の2L 直6エンジンを選ぶことが可能に。1961年にはフォード ゼファーに使用されていた2.6Lの直6エンジン(最高出力は170bhp)も選択可能となっていました。

このオープン2シーターのACエースをベースにリアに、ハッチゲートを設けたクローズドボディを架装した3ドア・クーペのA.C.Aceca(ACアシーカ)も登場しています。こちらもACエースと同様にAC製とブリストル製の2L 直6&フォード ゼファー用の2.6L 直6という、3種のエンジン(チューニングは少しずつ異なっていましたが)を選ぶことが可能でした。

そんなACアシーカはACエースに比べて価格が高価に設定されていたこともあって、販売台数的には苦戦を余儀なくされ、オープン2シーターのA.C.Aceとは比べるべくもありませんでした。やはり英国車ならクーペではなくライトウェイトなオープン2シーターに限る、ということでしょうか。そんな人気車種、ACエースの後継モデルがA.C.Cobra(ACコブラ)です。

エンジン供給に関してACがフォードとジョイントして誕生したアングロ・アメリカン

先にふれたように、ACエース(とそれをベースにリアにハッチゲートを設けたクローズドボディを架装した3ドア・クーペのACアシーカ)では3種のエンジンを選ぶことができたのですが、その辺りについて少し補足説明しておきましょう。

最初に用意されたAC製の2L 直6ユニットの基本設計は、第1次大戦前のもの。第二次大戦後の技術レベルで見るなら、いかにも旧態依然としていました。そこでブリストル製の2L 直6エンジンにコンバートされたのですが、こちらも第二次世界大戦前にBMWで基本設計が行われたもので、やはりクラシックな設計でした。

そこでフォードのゼファー用のエンジンを搭載することにしたのですが、1961年にブリストルが、件のエンジン生産を終了することを決断。当然のようにACへの供給も終了することになりました。これに対してACでは、イギリス・フォードが戦後モデルとして開発したフォード ゼファーに搭載された2.6L 直6エンジンに目を付けたのです。

その一方で、ブリストルからのエンジン供給が断たれることになったACに、新たなプロジェクトが持ち掛けられたのです。提案したのは元レーシングドライバーで、1960年に引退後はカーデザイナー/コンストラクターとして活動を始めていたキャロル シェルビーでした。

フレームを改良してV8エンジンを搭載

彼はオースチン ヒーリーでのレース参戦や、速度記録に挑戦したキャリアを持っており、英国製のライトウェイト・スポーツのハンドリングに感銘を受けたようでした。そんな英国製のライトウェイト・スポーツに、アメリカのハイパフォーマンスカーに搭載されている大排気量のV8を搭載した“アングロ・アメリカン”なスポーツカーを考えていたのです。

シェルビーはGM(シボレー)とフォードのビッグ2に打診しました。コルベットのライバルになることを危惧したGMからはいい返事をもらうことができませんでしたが、反対にフォードは大いに乗り気だったようです。こうした経緯の末に“アングロ・アメリカン”なACコブラが誕生したのです。

コブラの開発にあたっては、エースをベースとしたプロトタイプが用いられていました。最大の課題はフォード ゼファー用の直6エンジンに換えて、フォードのスモールブロックV8を搭載すること。フレームを改良して大きなV8エンジンが搭載できるようにすることに加えて、駆動系が野太いトルクに対応できるよう強化することも必須でした。そして当初は4.3LだったV8エンジンの排気量は、4.7Lまで排気量が拡大されています。

1965年にはエンジンを7Lに拡大

1963年モデルからはステアリングがラックアンドピニオン形式に変更されましたが、ステアリングラックはMG Bのものを転用し、ステアリングコラムはVWビートルから流用されるなど、英国流が貫かれていました。この1963年モデルはマークIIと呼ばれ、1965年の夏までに600台近くが生産されています。

さらに1965年に登場したマークIIIではサスペンションのスプリングがリーフからコイルに変更され、エンジン排気量は7L前後にまで拡大。その排気量によってACコブラ427/428(3桁の数字はキュービックインチでの排気量から)と呼ばれるようになりました。

ACコブラの生産は、イギリスのACでアルミ製のボディ付きのローリングシャシーを生産し、それをアメリカに輸出。アメリカではシェルビー社でフォード製のV8エンジンを搭載して完成車として仕上げる工程となっていました。このアメリカのシェルビー社で完成させたモデルがACシェルビー コブラ、あるいはシンプルにシェルビー コブラと呼ばれることになりました。

またACではフォード ゼファーの直6エンジンを搭載したモデルを生産し、こちらは完成車としてヨーロッパ向けに販売していました。

さまざまな仕様があるためスペックも表記が難しいのですが、4260cc(ボア×ストローク=96.5mmφ×73.0mm。最高出力は264ps)のプッシュロッドV8を搭載したマークIIの260でみると、前後サスペンションは横置きリーフスプリングとロアAアームによる独立懸架でブレーキは前後ともにディスク式。

ボディサイズはホンダS2000に近い

ボディサイズは全長4240mm×全幅1520mm×全高1180mmでホイールベースは2290mm、車重は950kgとなっています。サイズ的にはホンダS2000より約100mm長く230mmスリムで、パワー的には250ps(前期モデル)と似たようなものですが300kgほども軽いことで、パフォーマンスでは圧倒的だったと思います。当時のアメリカで求められたスポーツカーと、現代のわが国で求められたものとは根本的に違っているので、どちらが優れているかの判断はできませんが……。

ただし、1970年代に上映された「激走!5000キロ(原題:THE GUMBALL RALLY)」で主役を演じたマイケル・サラザンがドライブしていたACコブラの格好良さがとても印象深かったことは、いまでもしっかりと記憶に残っています。

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