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日産「プレセア」はミニ「インフィニティQ45」だった!? 遅れてやってきたバブルなクルマはセンス抜群でした

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TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi)  PHOTO: 日産自動車/AMW編集部

  • プレセア

  • プレセアの正面
  • 初代カリーナED
  • 2代目プレセア
  • プレセア

スタイリッシュセダンの元祖「カリーナED」の対抗馬として登場

「絶世のセダンです」と自ら美しさを誇張するCMとともに、1990年6月に登場した日産「プレセア」。このクルマをひと言で表すと、スタイリッシュなパーソナルセダン(今でいう4ドアクーペ)という新ジャンルを確立したトヨタ「カリーナED」の日産版となる。

その前身は日本初の小さな高級車であるローレルスピリット

初代カリーナEDのスマッシュヒットにより、プレセアだけでなく、マツダ「ペルソナ」(ユーノス300)、三菱「エメロード」、ホンダ「インスパイア」など各メーカーが相次いでこのジャンルに新車を投入。さらに同門トヨタからも「コロナ エクシブ」、「カローラ セレス」、「スプリンター マリノ」が用意され、カッコよくてちょっといいセダンは一大ブームとなった。

初代カリーナED

ただ、流行の移り変わりは早いもので、バブル崩壊以降、ユーザーのクルマに対するニーズがワゴンやSUV、ミニバンといったRVへと移り変わると、居住性の悪さがマイナスイメージに……。21世紀を前にプレセアを含めたほぼすべての車種が生産を終えている。

さて、本題のプレセアだが、まずそのバックボーンから話を進めよう。その系譜をたどると、日産の高級車を扱うモーター店で販売されていた「ローレルスピリット」にたどり着く。

王道VIPセダン像から新時代のプレミアムセダンベースへと路線変更

1980年代に5つあった日産の販売チャンネルには、それぞれの車種展開に合わせたエントリーモデルが用意されていた。プリンス店には「ラングレー」(ミニ・スカイライン)、日産店には「リベルタビラ」(ミニ・ブルーバード)、サニー店には「サニー」、チェリー店には「パルサー」、そして、モーター店は「ローレルスピリット」(ミニ・ローレル)というわけだ。

ベースとなったのはサニーで、エンジン、サスペンションなどのメカニズムは共通であった。威風堂々とした格子グリル、各部に多用されたメッキの装飾、上級車のローレルと同じ上質な2トーンカラー、モケット張りの上質な内装・ドアトリムなどを採用。小さいながらもプレミアムな香りを醸し出していたのが特徴だった。

ただ、小さな高級車というコンセプトは日本に馴染みがなかったこともあり、販売面では苦戦。そのイメージを一新すべく、従来のセダンに求められた威厳のある豪華絢爛路線ではなく、バブル期に日産が目指していた新しいプレミアムセダン像を色濃く受け継いだエントリーモデルとして登場したのがプレセアだった(販売はモーター店とサニー店)。

日本人が持つ繊細さを表現した柔らかなフォルムが特徴

スタイリングはローレルスピリットのエッジが効いた四角四面のボックスタイプから、柔らかな面と線を生かしたスマートですっきりとしたフォルムにチェンジ。横長のヘッドライト(エンジン側に丸く削られた個性的な凹型デザイン)と、グリルを廃した端正なフロントフェイスは、スポーティ&エレガンスを兼ね備えた新世代の高級セダンである「インフィニティQ45」を彷彿とさせ、ミニ・ローレルからイメージを大きく変えたわけだ。また、宝石の重さの単位を表すカラット(Ct)をグレードネーミングとするなど、センスにあふれていた。

サイドビューは、スタイリッシュセダンの定番であるキャビンの小さなハードトップであったが、センターピラーは剛性を確保できるピラードタイプを採用。当時の日産で推進していた「1990年代までに運動性能で世界一を目指す」901活動(正式にはP901)の影響もあり、走りの性能を引き上げることを重視していたため、妥協しなかったのだろう。

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