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バブル絶頂期デビューのマツダ「ファミリア系列」はオシャレな都会派でした! リトラクタブルヘッドライトの「アスティナ」も懐かしい

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

欧州車のようにスタイリッシュなファミリーカーとなった7代目ファミリア

「アクセラ」あらため「マツダ3」は今もマツダの主力ファミリーカーとして国内外で販売されていますが、その前身である「ファミリア」も1963年から2004年まで9世代もの長きにわたりマツダを支えていました。今回はバブル期の1989年に登場した7代目、「新ファミリア系列」を当時のカタログで振り返ってみましょう。

1963年の誕生以来、若者に愛されてきた歴代ファミリア

マツダ「ファミリア」。誰がどう聞いてもファミリーカーの王道をいくに違いないことがわかる車名が与えられたこのクルマの初代は、じつは1963年に、まずバンから発売された。乗用車のセダンの発売は翌1964年のことで、2ドアセダン、4ドアセダン(その前後にワゴンとトラックも発売)、さらに1965年になるとクーペも登場した。

1967年に最初のフルモデルチェンジで登場した2世代目では、マツダ車を象徴するロータリーエンジン搭載車がクーペとセダンに登場している。ほかに2代目の拡大版だった「ファミリアプレスト」(1973年登場/マツダはこれを3代目としている)、初代サバンナのレシプロエンジン版だった「グランドファミリア」(1971年)といった車種もあった。

1977年になると「X508」のコードネームで当時ティザーキャンペーンも張って登場したのが4代目で、FRのまま2ボックススタイルに一新。映画『幸福の黄色いハンカチ』にも登場し、劇中で後席にはあの高倉 健が乗っていた。なおこの頃から海外仕様名に「Mazda323」が使われるように。

さらに1980年に5代目として登場した有名な「赤いファミリア」ではFFへと車両レイアウトを一新。FF車では世界新記録となる、27カ月で生産100万台を達成する。80年代初頭の甘々な時流に乗り、CMに高中正義(楽曲は1977年の『An Insatiable High』や1979年の『JOLLY JIVE』より後にリリースの1982年の『SAUDAGE』から)のゴキゲンなサウンドを起用するなどして、当時のポパイ世代の若者を中心に広く人気を集めた。

7代目ファミリアのCMはサディスティック・ミカ・バンド

そしてフルタイム4WDやカブリオレなども登場させた6代目を挟み、1989年2月のフルモデルチェンジで登場したのが7代目。「ついに、楽しいクルマです。誕生“新ファミリア系列”」のコピーと、3台のファミリアが純白のウネウネとした場所をゆっくりと並んで走るCM(赤、青、黒、白、青/赤/黒など複数パターンがあったが、なんと実写だったそう)の音楽には、それまでと打って変わったサディスティック・ミカ・バンドを起用し、垢抜けた、インパクトと新しさを強くアピールするものだった。

手元にある当時のカタログは、通常のクルマのカタログより縦が大きいB4判のため資料棚に収めるのに苦労させられ、このサイズのお約束で3車分ともご覧の通り上部を中心に少しヤレている……という話はさておき、いまあらためて手に取ってみても、それまでのカーマニア路線とは趣きを違え、より洗練されたグラフィックデザインになったところも懐かしい。

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