チューナーの心に残る厳選の1台を語る【ティー・ゲット 境 太輔代表】
オーナーが愛車に求めていることを実現させていく。万全の態勢だから熱い想いのオーダーも少なくない。とくに印象的なのが気持ちよさを突き詰めたいという要望だ。言葉にすれば簡単だが、真意を考えると一筋縄ではいかない。とてつもなくやり甲斐があり、実力が浮き彫りになる。
(初出:GT-R Magazine158号)
自動車整備専門学校に通うことで初めてクルマに興味を持った
小さいころはまったくクルマに興味がなかったという、多くのチューナーの中では間違いなく少数派タイプ。『ティー・ゲット』の境 太輔代表は、中学の終わりころから漫画「バリバリ伝説」の影響もあって少しずつバイクに興味を持ち始めた。
16歳で中型2輪の免許を取得して、ホンダ「CBR400F」を購入。スポーツマフラーやバックステップの取り付けを、オートバイ雑誌を見ながら自分で行っていた。日本海間瀬サーキットにも何度か走りに行ったが、仲間が行くから一緒にという程度でサーキットに夢中になるまでには至らなかった。
高校卒業後の進路も仲間が行くからという理由で日産系の自動車整備の専門学校に決めた。それでもまだクルマには興味がない。あろうことか日産がどんなクルマを作っているかも知らない始末。それでも整備の勉強は面白くて、毎日の授業がとても楽しかったという。
クルマの仕組みや原理がわかってくるとおのずと興味が湧いてくる。さっそく知人から430型セドリックを購入して、授業で学んだ作業を試してみる。その延長という感覚でバネをカットしたりマフラーを加工したりと、お金をかけずにクルマいじりを楽しんでいた。
S30Zを譲り受けたことで本気でチューニングに挑む
卒業後は日産のディーラーに就職。入社1年目に親戚から格安で2シーター5速MTのS30Zを譲り受けた。当時21歳だった境代表にノーマルで乗るという選択はなく、当然のようにチューニングを施す。しかし整備の知識はあるがチューニングのノウハウは乏しく、バイク時代のように情報源は雑誌のみ。最初に取り付けたソレックスの40φキャブも雑誌の売買コーナーで手に入れている。
当初は吸・排気系パーツの取り付けやキャブのジェット交換などを行ってクルマの調子を良くする程度で、その先には進めない。事態が好転したのはスポーツマフラー用のガスケットを購入するために近所のチューニングショップを訪れた、23歳のときである。
「新品はないけど、まだ使える中古品があるからあげるよ」と初見でいきなりガスケットを譲ってもらった。お互い相性が合ったのだろう。その後もチューニングに行き詰まると相談にのってもらっていた。それが「フロントロウ」の伊藤義之代表だ。
しばらくすると境代表と伊藤代表が同い年だということが判明。ぐっと距離が縮まり、親密さが増した。境代表はディーラーで仕事を終えたあとや休日にはフロントロウを手伝うまでになった。そんな忙しい日々を送っている境代表ではあるが、S30Zのほうもコツコツと手を入れて、3.1Lまで排気量を上げる。キャブもウェーバーの50φに変更し、最終的にはNAのままで300psをマークするまでに仕上がった。
「チューニングの心構えは伊藤さんから学びました。とくにエンジンの組み方ですね。基本となるバランス取りは各パーツの重量ばかりでなく、燃焼室のバランスも見逃してはいけないってことは今でも実践しています。各気筒で容積や形をきっちりと揃える。これをやるかやらないかでエンジンのフィーリングは大きく変わってきますので」
バルブタイミングとバルブクリアランスの調整も伊藤代表の影響を大きく受けた。とくにバルブタイミングは時間をかけて入念に合わせている。その後のセッティングのときにも合わせっぱなしではなく微調整して探りながらいいところに持っていく。バルブクリアランスのほうは規定内に収めることで終わらせず、必ず全部の気筒を統一させている。わずか0.1mmの差で違いが出るほど気の抜けない繊細な項目だ。
ディーラーとフロントロウとの掛け持ちは27歳まで続けた。手伝っている間には伊藤代表のみならず、現在もチューニング業界のさまざまな分野で活躍している人たちと出会い、学ばせてもらえた。それは境代表にとっては何ものにも代えがたい貴重な財産。これまでの人生のなかでも、とびきり濃厚で刺激的な時間を過ごすことができた。その後に独立してティー・ゲットを起ち上げる。