大御所に混ざり参加した真剣勝負が人生の転機に
「チューニングに対する確かな手応えを実感して、さらなるステップアップを試みます。それが『ヴェイルサイド』の展開です。平成2(1990)年、28歳でした。バラックで作業していた横幕レーシングでは、どうしてもチューニングが後ろめたいものに感じてしまう。そこで華やかな店舗を設けて、美しくて夢のあるクルマ作りを目指したんです」
すでにBNR32がデビューしていて、全体的にチューニングのレベルが上っていったころだ。もちろん横幕代表もR32を入手してチューニングに没頭。ブーストアップからタービン交換、そしてエンジン内部のモディファイと一歩ずつ確実にチューニングを究めていく。
「それまで苦労して身に付けたノウハウが面白いように当てはまりました。特にコンピュータは取り組んでおいて本当に良かった。制御の仕組みがわかっているとチューニングに柔軟性が出ます」
まだオープンして間もないのにヴェイルサイドは順調だった。狙いどおりに客層の幅も広がった。そんな横幕代表がひと息つきかけたときに電話が入った。雑誌社主催の企画への誘いだ。谷田部のテストコースを使って静止状態から300km/hまでのタイムを競う真剣勝負。
もちろん受けて立ったが思いは複雑だ。「出ることに意義がある」は横幕代表には通じない。1番でないと意味がないからだ。しかし錚々たるメンバーが集まってくる。不覚なタイムだとユーザーは離れてしまう。せっかく順風満帆なときにマイナスイメージは付けたくない。その日から横幕代表の徹夜作業が始まった。
R32をベースにエンジンは2750ccにスケールアップした。ヘッドまわりに独自のノウハウを注ぎ込み、カムはIN/EX共に288度。ターボはTD06S-20Gでエキゾーストハウジングが8cm2のものを2機掛けし、インタークーラーはトラスト製で、インジェクターは1000ccだ。エアフロを加工してメインコンピュータで制御し、ブースト1.7kgでパワーは約800ps。取材前日までセッティングを煮詰めていく。
「これでもかってほど攻めていったら、あろうことか1気筒が棚落ち寸前の状態に陥りました。あと数時間で取材開始という状況だからエンジンはバラせない。祈るような気持ちで現場に向かいました」
12月の早朝、谷田部はまだ真っ暗だ。メインストレートのほぼ中央に小屋があってそこが待機所になっている。だが走行の順番を待っているショップ関係者は誰ひとりとして小屋の中にはいない。大御所たちは寒くても暗い外に出て仁王立ちで各ショップの記録を確認している。
「20代の若造なんて自分だけで、あとは貫禄ある名の知れた有名チューナーばかり。久々にビビりました」
タイムは大体のクルマが40秒台だと確認した矢先、順番が回ってきた。走り切りたかったので、まずはブーストを抑えて走ってもらう。クルマが暗闇に消えていくと、どこからともなく「横幕って生意気らしいな」とか「随分と粋がってるみたいだぜ」と声が聞こえてくる。その不気味さは今でも鮮明に覚えている。
裏のストレートでも排気音が途切れなかったので、まずはひと安心。走り終えたクルマに横幕代表が近づいていくと、降りてきたドライバーが「噂どおりに速いな」と言ってくれた。肩の荷が降りた瞬間だ。記録は35秒37。この時点で文句なしの日本一。しかしドライバーには「これで日本中のチューナーを敵に回したことになる」とも鋭く指摘された。
その翌月に開催された東京オートサロンではベストチューナーのグランプリに輝いた。この受賞でヴェイルサイドはさらなる勢いをつける。
「今だから話せますがホントは20秒台は楽勝だろうと思っていました。セッティングの段階でそれぐらいの手応えがあったし、秘策も施しましたから。谷田部はバンクがネックで、オイルが偏って吸い込めなくなる。それで進入速度やバンク角を緻密に計算して、偏りを防ぐためにオイルパンの形状や内部のバッフルなどを加工したんです。これが勝因だと思います。この作業はメカニックにも教えずに密かに行いました」
やはり最終的には細かくて神経質な性格が功を奏す。こうしてR32の成果で横幕代表が率いるヴェイルサイドの本格的な快進撃が始まったのだ。
(この記事は2021年6月1日発売のGT-R Magazine 159号に掲載した記事を元に再編集しています)