60年代日本が生んだ秀麗きわまる純スポーツカー
1970年代中ごろ、子どもたちの周りにあるさまざまなモノがクルマ関連グッズと化した空前絶後の「スーパーカーブーム」は、池沢早人師さんによる漫画『サーキットの狼』をきっかけとして巻き起こりました。当時の子どもたちを熱狂させた名車の数々を振り返るとともに、今もし買うならいくらなのか? 最近のオークション相場をチェックしてみましょう。今回はスーパーカーブームのひと世代前ながら、当時から絶大な存在感だったトヨタ「2000GT」です。
トヨタのクルマ造りのフラッグシップとして1967年に発売
クラシックカー人気の影響で流通価格が驚くほど高騰したことにより、ふたたび各方面で注目される存在となったトヨタ「2000GT」。トヨタの技術力の高さを内外にアピールしたこの純スポーツカーは、1965年の第12回東京モーターショーで、まず「近い将来の市販を期したプロトタイプ」がデビューした。
その後、鈴鹿1000km耐久レースや、3つの世界記録と13の国際新記録を樹立した速度記録への挑戦などを通じてテスト走行を重ね、1967年5月についに正式発売された。
プロトタイプの2台がオープントップに改造され、人気スパイ映画『007は二度死ぬ』に登場して話題になったこと、日本国内だけでなくアメリカのレースにも挑戦して好成績を残したこと。さらには国産車で初めてリトラクタブルヘッドライトを採用したことや、エンジンをチューンしたヤマハ発動機の協力によって高級感あふれるローズウッド張りのインパネが実現できたこと。そのほかにも、生産のほとんどを手造りに頼ったことで新車のプライスが238万円となり、この販売価格が同時期にリリースされていたトヨタ「クラウン」の約2倍であったこと、最終的にわずか337台しか生産されなかったことなどの逸話で有名だ。
オイルショックで国産車が低迷した70年代にはすでに神格化
といったように話題満載であったトヨタ2000GTだが、スーパーカーブーム全盛時に筆者が愛読していた小さな判型の自動車大百科では「懐かしの60年代名車」として紹介されていた。2000GTの写真が載っていたページには、「ユーザーが純粋にクルマの性能を求め、メーカーが全力で応えた旧き佳き時代、それが60年代だ」とも記されている。70年代は日本の自動車メーカーがオイルショックに悩まされていたこともあり、それ以前に開発された純スポーツカーは、ある意味、神格化されていたのだ。
そのため、スーパーカーブーム全盛時に子どもたちの中での2000GTの扱いは「幻の名車」で、この捉え方は現在もまったく同じなのが面白い。社内デザインによる車高の低いクーペボディは極めて流麗で、今日的な視点で見ても、そのプロポーションの秀逸さは見事だ。同時期に誕生した海外のスーパースポーツカーと比較すると控えめだが、1960年代に誕生した国産の純スポーツカーであることに改めて思いを巡らせれば、誰もが感動してしまうスタイルだといえるだろう。