加工技術の先をいく 走る芸術品
自動車御三家のひとつ名門いすゞが世に送り出したエレガントなファストバッククーペ「117クーペ」。ベルトーネから移籍したばかりのジウジアーロが作り上げた見事な曲面デザインに、国産車初となる電子制御燃料噴射など最新の技術が投入された。
当時のプレス技術では実現できないデザインも熟練した職人の手作業によって生産された
いすゞ自動車はトヨタ、日産とともに「自動車御三家」のひとつに数えられた名門である。会社名は、伊勢神宮の五十鈴川から取ったもので、戦後の早い時期に乗用車市場に名乗りをあげた。技術レベルを高めるためにイギリスのルーツモータース社と技術援助協定を結び、ヒルマンの生産と販売に乗り出している。これに続くヒット作のベレットを見てもわかるように、いすゞはヨーロッパ流のクルマづくりを得意とする。
ベレットが全盛を誇っていた1960年代半ばは昭和40年代。高度経済成長を背景に自動車文化が花開き、高性能なスポーティモデルや上級セダンが増えてきた。当然、高い技術力を誇るいすゞも、ベレットより1クラス上の乗用車の開発に乗り出している。デザインを依頼したのは、イタリアの名門カロッツェリアの「ギア」。コードネームは「117」だ。
いすゞが依頼したのは、上質な4ドアセダンだった。だが、ギアの上層部は同じプラットフォームを用い、スタイリッシュなクーペを同時進行の形で作業することを勧めている。いすゞ側は渋ったが、ショーモデルで出品し、反響が大きければ市販すればいいと伝えてきた。そこで2台を別々にデザインしている。
いすゞ期待の新型車は1966(昭和41)年にベールを脱いだ。最初にお披露目されたのは流麗なファストバッククーペだった。ワールドプレミアは3月のジュネーブショーで、車名は「ギア・いすゞ117スポルト」と命名されている。息をのむほど美しいデザインを手がけたのは、ベルトーネ社から移籍したばかりのジョルジェット・ジウジアーロだ。
秋に開催された第13回東京モーターショーには、右ハンドルに改めた117スポーツと6ライトウインドウの伸びやかな117セダンがいすゞブースに展示され、熱い視線を浴びた。セダンは1967年秋に「フローリアン」の名で発売されている。
1967年の東京モーターショーには改良型の117スポルトも展示された。そして1968年10月の第15回ショーに、車名を「117クーペ」に変えた生産モデルを展示。そのままの形で12月に発売を開始している。
最大の注目ポイントは、後に「走る芸術品」と讃えられたエレガントなクーペルックだ。ガラス面を際立たせるクロームのメッキ処理も新鮮だった。どこから見ても隙のない美しいデザインで、動きのあるパネル面は当時のプレス技術では実現することが難しい。パネル面が波打たないように機械でプレスした後、熟練した職人が手作業で歪みを修正し、美しいフォルムに仕上げている。
手がかかることもあり月産目標は50台。そのためPA90と呼ばれる型式の117クーペは、マニアからハンドメイド117と呼ばれ、珍重された。
国産車初となる電子制御燃料噴射を1.6L直4DOHCエンジンに採用
参考出品でいすゞブースに展示したときに話題に上ったのが、ベールに包まれたパワーユニットだ。最後までボンネットの中を見せなかったため、エンジンの種類も排気量もわからなかった。だが、正式発売が秒読みに入った1968年の第15回東京モーターショーを前に、エンジンの概要を発表している。それは大方の予想どおり、胸をときめかす珠玉のパワーユニットだった。
心臓に選ばれたのは、ベレット1600GTに積まれている直列4気筒OHVにDOHCヘッドを被せたG161W型エンジンだ。ボア82.0mm、ストローク75.0mmのオーバースクエア設計で、総排気量は1584ccになる。燃料供給は、パワーを絞り出す常とう手段であるソレックス40PHHツインチョーク・キャブレターを2基装着した。圧縮比は、当時としては高めの10.3だ。パワースペックは、ライバルを圧倒している。最高出力は120ps/6400rpm、最大トルクは14.5kgm/5000rpmを発生した。トランスミッションは、5速MTも検討したが、採用したのはベレット1600GTから譲り受けたフルシンクロの4速MT。だが、1速のギア比を変え、シフトレバーの位置も27mm手元に引き寄せている。
カチッとゲートへ正確に入る4速MTを駆使すれば、最高速度は190km/hに達し、0-400m加速も16.8秒で走り切った。だが、117クーペ、というか、いすゞの凄いところは、オプションで最高速度を伸ばすためのファイナルギアを用意していたことだ。これを選べば最高速度は200km/hの大台に乗る。優雅なエクステリアからは想像できない高性能クーペだった。
もうひとつ、驚くべきことがある。1970年秋に2種類のパワーユニットを加えたのだ。SOHCの1.8Lエンジンには驚かされないが、117クーペECの心臓には度肝を抜かれた。DOHCエンジンに組み合わされていたのは、時代の先端を行くボッシュが特許を持つ電子制御燃料噴射装置だ。今でこそ珍しくないが、当時は一部のスポーツカーやレーシングカーに使われていただけで、日本車では初めての採用となる。
エンジン型式はG161WE型で、最高出力130ps/6600rpm、最大トルク15.0kgm/5000rpmを絞り出す。パワフルでありながら燃費も悪くなかった。
高級素材と卓越したデザインによるエレガントな外装に相応しいインテリア
117クーペのもうひとつの魅力、それはトラディッショナルな大人のインテリアだ。広がり感のあるT字型のダッシュボードを採用し、ドライバーの前には高級なウッドの化粧パネルが全面に張り込まれている。
初期モデルの化粧パネルは、当時12万円と言われた高価な台湾産の楠材だ。そこに時計を含む7つの丸型メーターとスイッチ類を散りばめた。ステアリングとシフトノブにも厳選したウッド材を使っている。ちなみにホーンボタンにはフロントグリルに採用したものと同じデザインの唐獅子マークを組み込んだ。この唐獅子はジウジアーロが気に入り、採用を懇願したものである。
ブラックアウトされたセンターコンソールには空調コントロールスイッチやラジオ、灰皿などが整然と並び、キャビンは2+2レイアウトで乗車定員は4名だ。ブラックの精悍な色調で、フロントシートはヘッドレスト付きのバケットタイプをおごっている。スポーティなデザインで、スライドとリクライニングも調整しやすいためベストなドライビングポジションを取りやすい。手を下ろすと自然とシフトノブに手が届く。
リアシートは2人がけで、当時としては珍しいヘッドレスト付きだ。また、2点式のシートベルトは自動巻き取り機構を備えている。しかも3段階にリクライニングでき、シートをたたむとトランクスルーになっていて荷物を簡単に出し入れできる。高級スポーツクーペにふさわしい、贅を尽くしたキャビンだった。
ただし、乗り味は意外にも無骨だ。サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーンとコイルスプリング、リアはリーフスプリングによるリジッドアクスルとした。フロントに採用したド・カルボン式ショックアブソーバーは、1969年秋にリアにも採用されている。ブレーキはフロントがサーボ付きディスクだ。
多くの作業工程を職人の手に委ねていた117クーペは、1973年に機械を導入して量産化を実現した。エクステリアを手直しし、エンジンは1.8Lになる。1977年には角形ヘッドライトを採用し、1981年まで販売が続けられた。今も強いオーラを放っている名作が117クーペだ。
117クーペ EC(PA90)
●年式:1970
●全長×全幅×全高:4280mm×1600mm×1320mm
●ホイールベース:2500mm
●車両重量:1090kg
●エンジン:G161WE型直列4気筒DOHC
●総排気量:1584cc
●最高出力:130ps/6600rpm
●最大トルク:15.0kgm/5000rpm
●変速機:4速MT
●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン・コイル/リジッド・リーフスプリング
●ブレーキ(前/後):ディスク/リーディングトレーリング
●タイヤ:6.45-14-4PR