49連勝を記録したハコスカGT-R
今シーズンからはSUPER GT主戦マシンの座を「フェアレディZ」に譲ることになりましたが、日産のレーシングカーと言って連想されるのは「GT-R」です。とくに1969年に登場したスカイラインGT-Rは、ツーリングカーにレーシングエンジンを搭載した衝撃マシンとして今も語り継がれています。今回は初代スカイラインGT-Rを振り返ります。
プリンスが日産に吸収合併されたことで誕生した“ハコスカ”GT-R
スカイラインは後に日産に吸収合併されることになるプリンス自動車工業が1957年にリリースしたモデルで、1964年に登場した2代目では、よりファミリーセダンの要素を増していました。しかしそのファミリーセダンに、上級モデルであるグロリア用の2L直6エンジンを搭載したスカイラインGTが登場し、以後はスポーティなモデルとして浸透していくようになりました。
スカイラインGTが登場した経緯は、1963年の第1回日本グランプリに遡ります。自動車工業会での申し合わせを守って特別な手立てを施さずに、メーカーとして完敗を喫したプリンスは、翌1964年に開催された第2回日本グランプリに向け4ドアセダンのグロリアとスカイラインのチューニングを進めていきますが、その過程において2台のツーリングカーだけでなくGTカーも開発することになりました。
その秘密兵器がスカイラインのノーズを延長し、グロリア用の6気筒エンジンを搭載したスカイラインGT。同じGTクラスでも純レーシングカーともいえるポルシェ・カレラGTS、通称“904”に敗れてしまいましたが、それでもわずか1周ながら、トップでストレートを駆け抜けて喝采を浴び、ここからスカイラインのGT神話が始まったのです。
GT-Bの後継として位置付けられていたGT-R
プリンスでは、雪辱を果たすために純レーシングカーのR380を開発し、1966年に2年ぶりの開催となった第3回日本グランプリでポルシェを破り雪辱を果たすことになります。レース直後にプリンスは日産と合併……当初は対等合併と発表されていましたが、結果的には日産がプリンスを吸収する格好に。これによってR380とその技術を手に入れた日産は、思いもよらぬ作戦に出ることになります。
それがR380に搭載されていた2L直6ツインカム24バルブのレーシングエンジン、GR8型と基本設計を同じくするS20エンジンを開発し、スカイラインのノーズに搭載することにしたのです。日産と合併した後の1968年にフルモデルチェンジを受けて3代目(C10系)に進化したスカイラインには、2代目(S50系)と同様にノーズとホイールベースを伸ばして直6エンジンを搭載したGTが用意されていました。しかし、そのエンジンはセドリックに搭載されていたL20エンジンでした。
パワー不足を指摘する声が多く聞かれるようになっていましたが、そんな声に応えるよう、1969年2月に登場したモデルがスカイラインGT-R。先代で初めて登場したスカイラインGTのトップモデル、GT-Bの後継として位置付けられていました。