デビュー戦では思わぬ展開となったが性能は圧倒的だった
スカイラインGT-Rのデビュー戦は1969年5月のJAFグランプリ、サポートのT(ツーリングカー)レースで、「きょう、注目のスカイライン、GPに初陣」と全国紙に全面広告を出稿するなど日産は自信満々でした。
クラブマンレースを謳っていたことで日産もトヨタもワークスドライバーの参加は見送っていましたが、実際に支援を受けたプライベートドライバーが参加していた日産に対して、トヨタはセミワークス格の高橋晴邦らが熟成されつくした1600GTでエントリー。
事前のテストではGT-R勢は2分12秒台をマークし、1600GT勢に比べて明らかに優位に立っていました。公式予選でも藤田晧二が2分13秒42でポールを奪い、ロバート・レイガン、長村瑞臣とトップ3を独占したのです。
1600GTで最速だった高橋は約1.5秒遅れの4番手に留まっていました。決勝レースではその高橋が好ダッシュを見せてホールショットを奪い、これに後方グリッドからスタートした舘 宗一(現・舘 信秀)らがGT-Rの間をすり抜けるようにジャンプアップ。
1600GTが1速をスタート専用にセッティングしていたのに対して、GT-Rは1速をヘアピン用にセットしていたことでスタートダッシュに大きな差がついたのです。その後は、GT-R勢と1600GT勢双方にアクシデントやトラブルが発生していきましたが、パフォーマンスでは圧倒的に優位だったGT-Rは篠原孝道が2位に上がり高橋の背後に迫ります。
ストレートではスリップストリームを嫌うように高橋は毎周のように左右に進路を変更して逃げ、なんとかトップチェッカーを受けることができましたが、この進路変更が走路妨害と判定され篠原が繰り上がって優勝。GT-Rの初陣を飾っています。
レース用では200psまでチューンナップ
GT-Rのパフォーマンスデータについても紹介しておきましょう。搭載されたS20エンジンは、直列6気筒でツインカム24バルブ。ソレックスのN40PHHキャブを3連装し、1989cc(ボア×ストローク=82.0mmφ×62.8mm)の排気量から160psの最高出力を絞り出していました。
そしてレース用では200psまでチューンナップし、その発生回転も8000rpmとベースエンジンよりも1000回転も高回転域にシフトしていました。車両重量もベースモデルは1120kgとL20を搭載したスカイラインGTに比べて幾分重くなっていましたが、レース用では1000kgを割る辺りまで軽量化されています。
サスペンションは、フロントがマクファーソン・ストラット式でリアはコイルで吊ったセミ・トレーリングアーム式の4輪独立懸架、フロントにはスタビライザーを装着。レース用ではもちろん、スプリングやダンパーが強化されていました。
市販モデルでは6.45H-14インチの4PRのタイヤが装着されていましたが、デビュー戦では5.50/9.20-14と太いグッドイヤー製のタイヤを装着。市販モデルでも、サーフィンラインを分断するまでに拡大されていたリアのホイールアーチの中で、この太いグッドイヤー・タイヤは強い存在感をアピールしていたのです。