チューナーの心に残る厳選の1台を語る【オートセレクトジャパン 澤 英一郎 代表】
思い出はたくさんある。どれを語ればいいか迷うほど。しかし、このクルマをあらためて思い返してみると、はっきりと覚えているのは良いことばかり。これまでの苦労も、今となってはすべてが良い経験だ。「R32GT-R」に情熱を注いだ、オートセレクト 澤代表の物語をお届けする。
(初出:GT-R Magazine160号)
ハンダ片手にラジオ作りに没頭していた小学生時代
クルマやバイクが大好きな父の影響を受けて育った「オートセレクト」の澤 英一郎代表。お店の片隅には亡き父の形見として、BMWのバイク「R100RS」が置かれている。
「原付免許を取り、ミニトレを買っていろいろいじくりました。2サイクルなのでネジ4本でシリンダーヘッドが外せて分解も簡単。高校時代は夢中でした」
機械いじりとの出会いはこのころかと思いきや、実際には小学生まで遡る。ラジオ作りに熱中していた時期があり、自分で回路図まで描いて自作する。ハンダも自在に扱っていた。
その後、高学年になるとアマチュア無線やオーディオに興味が移行。それぞれのアンプは独自に出力アップを試みて成功している。バイクの前はこういった電子部品の改造に没頭していた。
高校時代に話を戻すと中型免許を取ってからはカワサキのSS250を乗り回す。もちろんエンジンにも手を入れた。350ccに載せ換えての通学だ。途中にある長い直線で試す最高速の記録を毎日更新していた。前日にチャンバーを換えたり、ニードルの位置をズラしたり、少しずつ手を入れて効果を確認していく。自分で考えながら手を加え、それが正解だとちゃんと最高速に反映される。理にかなえば結果は必ずついてくるチューニングに惹かれていった。
初めてのクルマは日産ローレル。本当はケンメリかZが欲しかったが、太いホイールを入れた場合にはみ出してオーバーフェンダーが必要になる。そんなことをすればすぐに整備不良で反則切符を切られてしまう。免許の点数が残りわずかだったのだ。ローレルはリアに9Jがすんなりと入る。しかも2.6Lの設定があるのでエンジンを載せ換えずに楽しめた。
自動車関係の仕事を転々としてオートセレクトを立ち上げる
「高校卒業後は親戚のクルマ屋さんで働きました。トヨタ2000GTやケンメリGT-R、それにZ432といったマニアックなクルマの修理や販売を行うお店です」
21歳でさらに深くクルマのことを学びたくなり自動車関係の仕事を転々とした。民間車検場やレーシングファクトリー、エアロメーカーにも在籍。それぞれの分野を必死に学んでいった。
独立して「オートセレクト」をスタートさせたのは24歳のとき。弟の誠二郎氏と後輩ふたりの4人態勢で挑む。作り手の兄、乗り手の弟という兄弟コンビはオープン当初から現在も続くオートセレクトのウリだ。
「最初のころはL型や5M-Gが多かったですね。意外なところではフェラーリの512やBMWのM6もやりました。どれもステンレスのタコ足を作ってターボを付けるボルトオンターボ。みんな大満足で乗ってくれていました」
まだコンピュータがブラックボックスと言われて手が付けられなかった時代なので、澤代表は燃料系にレーシングファクトリーで学んだキャブレターを流用していた。過給するので圧力に耐えられるようにパッキン類を工夫したり、NAよりも多くの燃料が必要なのでニードルも大きく加工したり、独自にターボ用のキャブレターを作っていた。
ターボはKKKが多かった。F1でも使われた実績と無駄のない機能美を感じる形状が決め手だ。当時のエンジンルームは無骨なキャブレターと継ぎはぎのエビ管で仕立てたタコ足、それに足りない燃料を補うためのサブインジェクターを装着しているインテークパイプなど、ノーマルとは別物のスパルタンな状態になっている。過激さを武器に突き進んでいった。
インジェクションは7M-Gから着手。テクトムの機材を購入してじっくりと攻めていった。コンピュータの原理に詳しいユーザーがいたり、もともとオーディオに凝ってたこともあって電子パーツが嫌なわけではない。それほど時間がかからず基本がわかってきた。しかしセンスが問われるのはその先だ。使えることは大前提、いかに応用して使いこなせているかが腕の見せどころである。
「コンピュータの実力がついてきたころ、R32を購入しました。デビューの1年後ぐらいです」
R32はRB26に関するあらゆる弱点を教えてくれたクルマ
それまではユーザーのクルマで吸・排気系とブーストアップといったライトな仕様が多かったが、それでも350psぐらいはすぐに出た。ほかのエンジンでこうはいかない。素性の良さにやる気はみなぎった。
「自分のGT-Rでは壊れるまで試せるのでRB26の特徴が浮き彫りになる。いろいろと教わりました。比較的楽にパワーは出るのですが、そのぶん思いも寄らない部分に不具合が生じる。その繰り返しに明け暮れて少しずつ正解が見えてくる。このR32でRB26の弱点はほぼ克服できました。さんざん手を焼いたはずなのに嫌なイメージはないですね。若かったので苦労も楽しめたからでしょう。うまくいって安堵した場面ばかりが印象に残っています」
とくに燃料ポンプには気を配った。チューニングやセッティングが完璧だとしても、全開時にポンプがうまく作動しなければ一瞬でエンジンはブローするからだ。燃圧は侮れない。
燃料ばかりでなくオイルのポンプにも注意が必要だった。ギアが割れて油圧低下を引き起こし、焼き付くケースも多い。高回転でのクランクの振動が原因だ。
エンジンの内圧の高さにも手を焼いた。ブローバイガスの発生が多く、エンジンヘッドのオイルがオイルパンまで戻らない現象も多発。リターン用の通路の拡大は必須だった。
RB26特有の弱点はオイル関係が多かった。オートセレクトではオリジナルのオイルパンも作ったほどだ。もちろん今では当たり前のことばかり。わかってしまえば単純な原因でも、手品の種と同じでそれまでは見付けにくいものだ。
そうこうしながら仕立てた初めてのR32は、ノーマルクランクにキャレロのコンロッドとワイセコのピストンを組み合わせた2.7L仕様で、カムはIN/EXともにトラストの272度。タービンはTD06S-20Gでエキゾーストハウジングが8cm2のものを2機掛けとし、トラストのウエストゲート1機で排圧を調整する。
インタークーラーはトラストでオイルクーラーはニスモ。インジェクターは750ccでボッシュのポンプはふたつセット。エアフロメーターはR32のタイプM用を使ってメインコンピュータで制御する。この仕様でブーストを1.5kg/cm2かけると750psはマークできる。
「当時エアフロメーターはZ32用を使うのが主流でしたが、うちはタイプM用ばかりでした。対応馬力はZ32用のほうがやや大きかったですが、タイプM用はきめ細かく制御できて、アクセルオフでのターボの吹き返しの影響も受けにくかった。吹き返しでエンジンが止まる場合もありますから無視できません」
最高速アタックはマシンの実力を試す絶好の場
このクルマで雑誌社主催の谷田部でのテストにも頻繁に訪れた。もちろん順位は気になるが、それよりも実力を確認することを重視する。
チューニングカーといえども基本的に壊すのが嫌いなので、入念にセッティングを施す。すでにクルマの弱点は把握しているので、あとは予測できない事態に備えて手を尽くす。
澤代表は実走のセッティング中には五感を研ぎ澄ませて臨んでいるという。人間に備わる感覚を駆使して、メーター類では確認できない領域まで網羅する。とくに振動や音、それに臭いなどを中心に不安材料を徹底的に潰していく。
「記録を出すことよりも走り切ることが重要なんです。しかも走って終わりではありません。帰ってきてからも走らなければならない。チューニングカーは記録を出すためのクルマではなくて、日常を楽しく移動できる乗り物だと思っています」
澤代表は記録会でも気負いがない。いつもの自然体を貫いている。徹底的に走り込んでからでないと挑まない性格のため、フェイルセーフ的な要素を盛り込んで万全を期すからだろう。イチかバチかはあり得ない。
「努力が反映されるからチューニングは楽しいですね。バイクでマフラーを換えていたころと心意気はまったく一緒です。報われるのがわかっているから、のめり込んでしまう」
R32は澤代表を心底楽しませた。ひと筋縄ではいかなかったが、思惑がカタチになり、想像以上の成果が出た。のめり込む澤代表の想いを素性の良いR32が存分に応えていった。
「何でも叶えてくれる」と錯覚してしまうほどイジり甲斐がある。チューナー冥利に尽きると実感させてくれたクルマ、それがR32だ。
(この記事は2021年8月1日発売のGT-R Magazine 160号に掲載した記事を元に再編集しています)