スペシャルティカーという日本になかった概念を浸透させた功績
アメリカを起源に登場したポニーカーは、多くの人に親しまれ、乗りやすいクルマであった。そのような時代の潮流をいち早く取り入れたトヨタは、驚愕フォルムのショーカーの発表から1年後に新ジャンルカーとなる「セリカ」を登場させたのだ。
クーペでもハードトップでもない? 新発想のクルマ
自動車先進国の欧米を追い続けてきた日本の自動車メーカーは、1970年代を前に積極的にデザイナーを育てるようになる。パフォーマンスだけでなく、デザインが販売の大きな武器になると気づいたからだ。その少し前、アメリカではフォード「マスタング」が発売され、戦後生まれのベビーブーマーが競うように買い求めている。スポーティなルックスという魅力を備えたマスタングは大ヒットし、シボレー「カマロ」が追随したことでポニーカーブームが到来した。
これに刺激を受け、トヨタが企画したのがスペシャルティカーだ。社内にある他車のメカニカルコンポーネンツを利用して、スタイリッシュなクーペに仕立てるのである。そして1969(昭和44)年10月に開催された第16回東京モーターショーで初めて披露した。それが近未来コンセプトカーの「トヨタEX‒1」だ。ショーカーだと思われたが、じつは1年後にベールを脱ぐセリカのデザインモチーフだった。
1970年10月、ロングノーズ&ショートデッキに小ぶりなキャビンを組み合わせた「セリカ」が正式発表された。躍動感あふれるサイドビューは、ジェット機の層流翼からインスピレーションを受けたラミナーフローラインである。ボンネット先端を大きくスラントさせ、4つのヘッドライトとメッシュのグリルをU字型のバンパーで囲んだ。
カタログに書かれたキャッチフレーズは「クーペでもハードトップでもない、スペシャルティカー」である。ノッチバックのクーペデザインであり、センターピラーのないハードトップだった。だが、トヨタは新しいジャンルのクルマであると強くアピールしている。
マスタングがそうであったように、セリカも運転経験の少ない若者が無理なく運転できる扱いやすい2ドアクーペだ。高度なテクニックを持っていなくても気持ちよく走れる、懐の深いスペシャルティカーだったのである。
エンジン、ミッションから装備まで選択可能! 世界でたった1台の“私”のセリカが作れる
セリカの魅力のひとつ、それは日本で初めて「フルチョイスシステム」を導入したことだ。ET、LT、STの3グレードで、エンジン、トランスミッション、エクステリア、インテリアを自由に組み合わせることが可能で、世界に1台だけのセリカのオーナーになることができた。複雑なオーダーを短期間でこなすためにテレックスで連絡し、これをデータ電送するデイリー・オーダー・システムを採用している。
多くのファンを獲得したセリカは1973年4月に新しい仲間を加えた。それがドアから後ろをファストバックデザインとし、リアにハッチゲートを追加したリフトバックだ。アルファベット2文字でLBと呼ぶ人も多かった。これは1971年秋の第18回東京モーターショーに参考出品したトヨタSV-1を発展させ、量産に落とし込んだものだ。
2425mmのホイールベースはクーペ版のセリカと同じだが、ボンネットなどが70mm長い。逆にリアは20mm切り詰めている。また全幅は20mm広げられ、全高は1280mmと30mmも低くなっている。フロントまわりを専用デザインとし、ヘッドライトが外側に配されたので幅広く見える。
サイドビューはコークボトルラインが強調され、傾斜させたリアクオーターピラーには換気用のベンチレーションが刻まれている。
大きく異なるのはリアビューだ。横長のリヤコンビネーションランプはスリット状の処理を施しているから5分割デザインに見える。ライバルの三菱「ギャランGTO」とは異なりハッチゲートを備えているため、ワゴンのようにマルチに使うことが可能だ。
この時期、トヨタ2000GTは生産を終えていたから、このセリカリフトバック2000GTがスポーツレンジでのフラッグシップになっている。フルチョイスシステムも継続されたことでバリエーションは大きく増えた。これを機にセリカは「クーペ」を名乗っている。