フェラーリのF1に使用されていた3.5L V12を搭載
戦後すぐに始まったF1GPに続いて1953年に始まったスポーツカーによる世界選手権は、幾度もレギュレーションを変えていきました。競技車両もオープンシーターからクローズドクーペまで、さまざまなクルマが激しい争いを繰り広げ、F1GPとともに世界最高のモータースポーツとして人気でした。
なかでも人気の高かったのがグループC、いわゆるスポーツ・プロトタイプカーによる世界耐久選手権。今回はその末期に製作されたものの走る場を与えられなかった悲運のモデル、アルファ ロメオSE048“SP”を振り返ります。
当初はレースにおける使用燃料の総量を規制し各国メーカーが参戦したグループC
量産GTカーによる「国際GTマニュファクチャラー選手権」とスポーツ・プロトタイプカーによる「国際スポーツカー選手権」が統合され、1968年に誕生した国際メーカー選手権(国際メイクス選手権とも。1972年からは世界メーカー選手権に)。ポルシェやフェラーリ、マトラ、アルファ ロメオといったメーカーが鎬を削っていて人気を呼びましたが、世界的な景気後退もあって参戦メーカーが減少。それに比例するように人気も低下してしまいました。
それに代わって1981年に登場したのが「世界耐久選手権(WEC)」でした。そして1982年からは、前年にFISAが一新した競技車両カテゴリーのグループCを主役に戦われることになりました。グループCの特徴は、レースの際に使用する燃料の総量を規制していたこと。全長4800mm以内、全幅2000mm以内、最低重量800kg以上というボディサイズや重量の規制はありましたが、エンジンに関しては排気量やエンジン形式などは自由で、ロータリー・エンジンにも扉が開かれていました。
燃費競争が大きなテーマとなり各自動車メーカーが参加
そして燃料の総量が規制されたことで燃費競争が大きなテーマとなり、多くの自動車メーカーが参戦することになりました。用意周到なポルシェが最初のシーズンからトップを快走しましたが、ランチアやジャガー、メルセデス・ベンツ、トヨタや日産、マツダも打倒ポルシェを合言葉にマシンを鍛えていったのです。
ポルシェの独走状態も終わり、ジャガーやメルセデス・ベンツも勝ち名乗りを挙げるようになり、1980年代後半からは1000kmや6時間の耐久レースに加えて480kmの短距離レースも行われるように。シリーズ名もWECから世界スポーツ・プロトタイプカー選手権(WSPC)に変更されています。
さらに1989年にはシリーズ全戦が480kmとされ、1991年にはエンジンが、当時のF1GPと同じ自然吸気の3.5Lに制限され、シリーズ名もWSPCからスポーツカー世界選手権(SWC)へと変更されています。これはF1GPと同様のエンジン規定とすることで、より多くの自動車メーカーを、SWCだけでなくF1GPにも招き入れようとするものでした。ですが、SWC用に新たなグループCマシンを開発するコストが高騰したことで、F1GPはおろかSWC用に新たにマシンを開発するメーカーは激減。
1991年シーズンは、従来のグループCカーも混走で参加することで選手権の体を成していました。しかし、翌1992年シーズンはプジョーとトヨタ、マツダが継続参戦したものの参戦台数は常に10台前後で、1992年を最後に、SWCそのものが終了してしまいました。