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「スカイラインR33 GT-R」をモーテックで制御! セッティングの不安要素を徹底的になくす「ジーイング」のこだわりとは

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TEXT: 増田高志  PHOTO: GT-R Magazine

  • Jingが手掛けたエンジン

  • 前田代表
  • Jingが手掛けたエンジン
  • JingのR33

チューナーの心に残る厳選の1台を語る【ジーイングテクノエンジニアリング 前田 仁 代表】

以前は高回転に向かえば向かうほど、セッティングに曖昧な部分が増えていった。手応えがない不信感。思い通りにならない憤り。そんなマイナス要素が嘘のように消えてなくなった。繊細さも反映されるので一層セッティングに集中できる。前田代表のこだわりとは。

(初出:GT-R Magazine161号)

エンジンの試作に携わってチューニング理論を確立

ドライバー片手に動くものを見ると片っ端から分解していく。それが「ジーイングテクノエンジニアリング」前田 仁代表の幼少期の日常だ。2歳ころの出来事なので親に怒られたことまでは覚えていないが、時計やラジオ、それに今よりもずっと高級品だったテレビまでもバラバラにした記憶があるという。

前田代表

「家族にしてみたら迷惑な話です。好き勝手にバラすだけでそのままですからね。強引に制されたなら少しは印象に残っているだろうから、きっと強くは注意されなかったはずです。おおらかに育ててくれました」

その後、分解に飽き足らずに組み立てにも挑戦。部品がどのように付いているかやバラした手順なども覚えておかないと元には戻せない。バラすよりもハードルを高め、子どもなりにステップアップを試みた。

何度も失敗を続けて、やっと成功したのは小学校2年のとき。父親のカブのエンジンを分解して、なんとか組み立てられた。もちろんバラす前と同様にエンジンは掛かる。

「だけどネジが余ってしまいました。でもその後も不満なく使っていたので成功ってことにさせてください」

高校は電気系の学校に進学。バイクの免許を取得して乗ってはいたが、特別に好きだというわけではなく、時計やラジオと同様に分解組み立ての対象として接していた。

高校卒業後は自動車の整備工場に就職。このころには分解組み立てにプラスして壊れた部分を直すことに興味を覚えた。クルマ修理の奥深さも学んだ。もっとクルマのことを突き詰めたかったが、主な仕事が車検整備なので希望が叶わず転職を決意する。

初めての愛車「AE86」などでチューニングの効果を味わう

21歳のとき、タイヤ&ホイールやサスペンションなどを中心に展開しているカーショップに入店。そのころ、前田代表は初めての愛車としてAE86を購入する。クロスミッションや等長リンクなどで武装したT2仕様にして、峠を走り回っていた。

「ノーマルと付け換えたパーツの効果を体感するのが楽しかったですね。どんな変化があるのか、なるべく短所を抑えて長所を引き出す工夫をしたり、修理とは違った面白さに目覚めました。常連にスカイラインジャパン・ターボのオーナーがいていろいろなチューニングをやらせてもらいました」

ターボ系のパーツはとくに変化が大きかった。効果を存分に得るため、独学で過給器について猛勉強。辞書を脇に置いて、B29に使われていたターボの解説も載っていた海外の専門誌と奮闘していた。

当時はトラブルが少なかったのでKKKターボを積極的に使っていた。より効率のいいターボを求めて日本未導入のタイプを独自に入手。ターボに明け暮れていた時期だ。

25歳でさらに高みを目指してラリーショップに転職。ここでは溶接のノウハウや、旋盤やフライスの加工技術を習得した。さらに前田代表にとっては願ってもない出来事にも遭遇。ショップとしては異例の出向を命じられたのだ。そこでの仕事が自動車メーカーの新作エンジンの試作だから圧巻だ。出向先の代表と勤めていたショップの代表がラリーで共に戦った懇意の中で、人手が必要なときに依頼されるのだ。

前田代表は開発作業に夢中になった。エンジンベンチを使って弱点や不具合に対処していく。その手順が斬新だった。冷却の問題にぶつかったときは水路が目視できるようにエンジンヘッドをカット。要所要所に糸を張り透明のアクリル板を付けてエンジンを始動する。こうしてどこで糸が渦を巻くかを調べて、水の流れが滞る原因を突き止めていく。

「開発にたっぷりとお金をかけられた時代だったんです。机上の理論ではなく、実際にエンジンを使ってトライ&エラーを繰り返していました。コンピュータの制御もメーカーの人間から直接レクチャーを受けたのです。基本的なクルマの動かし方から、耐久性を高める条件などを学ぶことができ、今振り返っても夢のような出来事でした」

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