チューナーの心に残る厳選の1台を語る【ジーイングテクノエンジニアリング 前田 仁 代表】
以前は高回転に向かえば向かうほど、セッティングに曖昧な部分が増えていった。手応えがない不信感。思い通りにならない憤り。そんなマイナス要素が嘘のように消えてなくなった。繊細さも反映されるので一層セッティングに集中できる。前田代表のこだわりとは。
(初出:GT-R Magazine161号)
エンジンの試作に携わってチューニング理論を確立
ドライバー片手に動くものを見ると片っ端から分解していく。それが「ジーイングテクノエンジニアリング」前田 仁代表の幼少期の日常だ。2歳ころの出来事なので親に怒られたことまでは覚えていないが、時計やラジオ、それに今よりもずっと高級品だったテレビまでもバラバラにした記憶があるという。
「家族にしてみたら迷惑な話です。好き勝手にバラすだけでそのままですからね。強引に制されたなら少しは印象に残っているだろうから、きっと強くは注意されなかったはずです。おおらかに育ててくれました」
その後、分解に飽き足らずに組み立てにも挑戦。部品がどのように付いているかやバラした手順なども覚えておかないと元には戻せない。バラすよりもハードルを高め、子どもなりにステップアップを試みた。
何度も失敗を続けて、やっと成功したのは小学校2年のとき。父親のカブのエンジンを分解して、なんとか組み立てられた。もちろんバラす前と同様にエンジンは掛かる。
「だけどネジが余ってしまいました。でもその後も不満なく使っていたので成功ってことにさせてください」
高校は電気系の学校に進学。バイクの免許を取得して乗ってはいたが、特別に好きだというわけではなく、時計やラジオと同様に分解組み立ての対象として接していた。
高校卒業後は自動車の整備工場に就職。このころには分解組み立てにプラスして壊れた部分を直すことに興味を覚えた。クルマ修理の奥深さも学んだ。もっとクルマのことを突き詰めたかったが、主な仕事が車検整備なので希望が叶わず転職を決意する。
初めての愛車「AE86」などでチューニングの効果を味わう
21歳のとき、タイヤ&ホイールやサスペンションなどを中心に展開しているカーショップに入店。そのころ、前田代表は初めての愛車としてAE86を購入する。クロスミッションや等長リンクなどで武装したT2仕様にして、峠を走り回っていた。
「ノーマルと付け換えたパーツの効果を体感するのが楽しかったですね。どんな変化があるのか、なるべく短所を抑えて長所を引き出す工夫をしたり、修理とは違った面白さに目覚めました。常連にスカイラインジャパン・ターボのオーナーがいていろいろなチューニングをやらせてもらいました」
ターボ系のパーツはとくに変化が大きかった。効果を存分に得るため、独学で過給器について猛勉強。辞書を脇に置いて、B29に使われていたターボの解説も載っていた海外の専門誌と奮闘していた。
当時はトラブルが少なかったのでKKKターボを積極的に使っていた。より効率のいいターボを求めて日本未導入のタイプを独自に入手。ターボに明け暮れていた時期だ。
25歳でさらに高みを目指してラリーショップに転職。ここでは溶接のノウハウや、旋盤やフライスの加工技術を習得した。さらに前田代表にとっては願ってもない出来事にも遭遇。ショップとしては異例の出向を命じられたのだ。そこでの仕事が自動車メーカーの新作エンジンの試作だから圧巻だ。出向先の代表と勤めていたショップの代表がラリーで共に戦った懇意の中で、人手が必要なときに依頼されるのだ。
前田代表は開発作業に夢中になった。エンジンベンチを使って弱点や不具合に対処していく。その手順が斬新だった。冷却の問題にぶつかったときは水路が目視できるようにエンジンヘッドをカット。要所要所に糸を張り透明のアクリル板を付けてエンジンを始動する。こうしてどこで糸が渦を巻くかを調べて、水の流れが滞る原因を突き止めていく。
「開発にたっぷりとお金をかけられた時代だったんです。机上の理論ではなく、実際にエンジンを使ってトライ&エラーを繰り返していました。コンピュータの制御もメーカーの人間から直接レクチャーを受けたのです。基本的なクルマの動かし方から、耐久性を高める条件などを学ぶことができ、今振り返っても夢のような出来事でした」
満を持して自身のショップをオープンさせる
そこでは約10年間みっちり修行して35歳のときに独立し、ジーイングを起ち上げる。前田代表、つまり「仁」が現在進行形という意味だ。
当初はシルビアが多かった。そのほとんどがドリフト仕様の依頼だ。39歳のときに現在の場所に移転し、そのタイミングで自分の好みを押し出して第2世代のGT-R専門店として再出発を果たす。
仕様はユーザーの使い方を鑑みて決めていく。基本的に扱いやすくて小気味いいクルマにまとめ、馬力的には500〜600psが多い。得意のコンピュータ制御のノウハウを活用して、それぞれのパーツのよさが際立つセッティングを意識している。エアフロで対応できる馬力は純正コンピュータの書き換えで、対応できない場合はフルコンを使ったDジェトロで制御してきた。
「セッティングの肝は頭の中で完成形をイメージできるかどうかに尽きます。闇雲に空燃比を追っても心に響く味付けにはなりません。数字合わせでは駄目。使っているパーツからどんな特性になるかを予測して、それに近付けることが王道です」
高回転で唸るエンジンの原因追求が好転に繋がった
自分の思った通りのセッティングに人一倍拘る前田代表。思い描いた通りにいかない場合は、徹底に原因を追求するという。
「そこそこ馬力を出したクルマでの唸り音が気になり出したんです。狙い通りの馬力は出るし、不具合が出ることもないのですが苦しげに唸る。必ずどこかに原因があるはずだと調べていきました」
使っているパーツなのか、組み付け方なのか、あるいはセッティングの方法なのか。徹底的に追求した。しかしどこにも原因は見当たらない。
そこでそれまで使っていたフルコンからロギング機能が充実しているモーテックに変更。すると思いも寄らない事実が判明した。なんと高回転でクランク角センサーのエラーを表示。詳しく調べていくとちょうどエンジンが唸る回転域でクランク角センサーからの信号が暴れるのだ。
「クランク角の位置をずれて認識すると、点火や燃料噴射のタイミングのすべてが狂ってしまいます。この状態ではいくらシビアにセッティングしても反映されません」
RB26のクランク角センサーはカムシャフトの先端に接続されている。そのため高回転ではタイミングベルトの振れが大きく影響する。純正のセンサーは、アイドリングや排ガスの制御を細かく行うために360のスリットを設けたプレートで、繊細にクランク角の位置を把握しようとしている。中速域ぐらいまでは細かく確認できるが、高回転になると正確な位置が得られなくなる。
「対応策として海外で販売されていた24スリットのプレートに付け換えてみたんです。すると振れは減少。さらに正確な数値を得るため、クランクプーリーからクランクの位置を得ることも試みました。唸りは治まり、高回転まで淀みなく回るように激変。タコメーターを気にしていないと回し過ぎてしまうほどです」
モーテックとの出会いがチューニングを進化させた
前田代表が初めてモーテックを使ったのがこのR33。BBSのRI-Aが印象的だ。主な仕様はHKS鍛造87φピストン、東名パワードH断面コンロッド、JUNフルカウンタークランク。そして圧縮比を9まで高めたヘッドには、IN/EX共に272度のレイニックのカムを導入した。ターボはオリジナルのGT-Jeで、風量的にはHKS GT2530相当だ。エキマニは東名、フロントパイプはレイマックス、マフラーはHKS。インタークーラーはHKSの2層タイプをチョイスし、インジェクターは850ccでモーテックM600を使い、オリジナルクランクピックアップで制御する。
製作は約8年前。フルブーストの1.5kg/cm2には4500rpmで達して9000rpmまで一気だ。馬力は約700ps。1500rpmも回っていればすぐに加速態勢に移行できる柔軟性も併せ持つ。
「このR33以降のフルコン制御はすべてモーテックにしました。120台以上取り付けていますが、アイドルコントロールバルブが壊れたことによる不調以外にトラブルはありません」
モーテックを使ったことでクランク角センサーからの信号の暴れに気付けたし、対応もできた。クランク信号はエンジン回転数とピストンの位置を確認する重要な手段。正確な信号の確保は制御の基本だ。ここがずれてしまうと、どんなに優れたマップを作ったとしても生かすことはできない。
曖昧さがなくセットアップの妙技を余すことなく反映できるモーテックの魅力を痛感させてくれたのがR33だ。このクルマの以前と以降とでは前田代表のセッティングは違う。調律の真髄が見えてきたからだ。
(この記事は2021年10月1日発売のGT-R Magazine 161号に掲載した記事を元に再編集しています)