1人乗り5馬力で左後輪駆動の「世界最小のマイカー」
古今東西、戦争が始まると軍需産業はうるおい、そして戦争が終わるとそれまで軍需品を生産していた多くの工場は受注が減る。いや、それは主に戦勝国の話であって、これが敗戦国ともなれば受注が減るどころか、軍事技術に関わるあらゆる開発は禁止され、企業そのものが解体させられたりする。人類に未曾有の惨禍をもたらした第二次世界大戦。その敗戦国となった日本やドイツ、そしてイタリアの多くの軍需関連企業も、まさにそういった状況にあった。
敗戦直後のイタリアで軍用バイクメーカーが企画
国土が戦場となり荒廃した第二次世界大戦直後のイタリア。復興に向けた市民の移動手段として大フィアットは戦前のヒット作、初代「フィアット500」(トッポリーノ)の再生産を始め、さらに新型500(ヌォーヴァ・チンクエチェント)の開発にも着手するが、当時はまだスクーターはおろか自転車すら贅沢品だった時代。彼の地のモータリゼーションは、まさに一からの再スタートといった状況であった。
冒頭でも述べたように、戦時中に軍需品の生産を手がけていた敗戦国の企業が戦後に業種転換する(させられる)例は多い。わが国においても、かつては世界有数の航空機メーカーであった中島飛行機が終戦後には航空機の開発を禁じられ、爆撃機「銀河」の尾輪のデッドストックを流用して民生用に「ラビットスクーター」を産んだエピソードなどは有名だ。
イタリアのトリノに「Officine Meccaniche Volugrafo(オフィチーネ・メカニケ・ヴォルグラフォ/ヴォルグラフォ機械製造工場)」というメーカーがあった。わが国では馴染みが薄いが、第二次世界大戦中はイタリア軍の空挺部隊用の小型オートバイや航空機の部品、ガソリンポンプなどを製造していた企業である。
「イセッタ」「メッサーシュミット」より早い1946年発売のマイクロカー
そのヴォルグラフォ社が終戦直後の1946年に発売したのが、この「ヴォルグラフォ・ビンボ46(Bimbo 46)」と呼ばれる超小型車だ。空挺部隊用小型バイク「ヴォルグラフォ・アエルモト125」を手がけたエンジニア兼レーシングドライバーのクラウディオ・ベルモンドが終戦直後の1945年11月に開発し、1946年の春から生産が始められた。同社バイク用の空冷単気筒OHVの125cc/5馬力のエンジンを搭載し、左後輪を駆動した。一見するとまるで遊園地の子ども用自動車のようだが、「ポルシェ356」のデフォルメモデルのようにも見えるデザインの完成度自体は高い。