トヨタ2000GTの血統をひくスポーツクーペ
「BC戦争」での勝利を目指して開発されたファミリーセダン、3代目コロナ。これをベースにする流麗な国産初のハードトップボディをまとったのが1600GTだ。トヨタ2000GT同様、その心臓部はヤマハによって開発された。
市場もレースも席巻した「太陽」の子
昭和の時代、日本を代表するミドルクラスのファミリーカーは、日産「ブルーバード」とトヨタ「コロナ」だった。この両雄が競い合うように販売合戦を続け、日本のモータリゼーションを興隆に導いている。両車のベストセラーカー争いは、車名の頭文字を取って「BC戦争」と言われ、テレビや新聞を賑わした。
今もトヨタの代名詞として多くの人に愛されているクラウンが誕生したのは1955(昭和30)年だ。これ以降、主力車種をトラックから乗用車に移し、近代化に向けて動き出す。だが、クラウンは高級車ゆえ誰でも買えるわけではない。そこで開発されたのが、ミドルクラスを受け持つコロナである。
クラウンと同じようにトヨペットの名を冠した“コロナ”は、太陽のまわりから噴き出す真珠色の輪のことだ。明るく親しみのあるファミリーカーとして1957年5月に発表され、7月から販売を開始した。その当時、ヒットしていたダットサン・セダンをライバルとし「打倒ダットサン!!」の合言葉を掲げている。セールスマンはガムシャラに販売を伸ばそうと励んだ。だが、ダットサンは後継のブルーバードを送り出し、トヨタの野望を打ち砕いたのである。
ブルーバードの優位は揺るがず、2代目もベストセラーカーの座を守り通している。しかし、コロナは1963年5月に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリのT5クラスのレースで表彰台を独占。ひ弱なイメージを払拭し、株を上げることに成功した。そして東京オリンピックが間近に迫った1964年9月、満を持してモデルチェンジを行い、3代目コロナを送り込むのである。
デザインを一新したRT40系コロナは、アローラインと呼ぶストレート基調の美しいデザインで登場した。スラントしたフロントマスクと4灯式ヘッドライトも新鮮だった。ボディを軽量化するとともに、1.5LのR型直列4気筒OHVエンジンを2R型へと進化させている。
日本にも本格的なハイウェイ時代が到来すると考え、燃焼室をバスタブ型に変え、クランクシャフトを強化して70ps/5000rpmまでパワーアップした。また、「高速走行に強いコロナ」をアピールするために、開通したばかりの名神高速道路に初期モデルを持ち込み、10万km連続走行公開テストを実施。優れた耐久信頼性を立証している。
1965年1月、コロナは宿敵ブルーバードを抜き、初めてベストセラーカーとなった。4月には排気量を1587ccに拡大した4R型エンジンを積み、SUツインキャブを装着したスポーティセダン、コロナ1600Sを投入する。これはブルーバードSSSの対抗馬として加えられたもので、タコメーターや4速フロアシフトのトランスミッション、前輪ディスクブレーキが標準だ。
そして7月に日本初となる2ドアハードトップを設定した。センターピラーを取り去り、リアピラーを傾斜させたスタイリッシュな2ドアクーペで、後席のサイドウインドウは扇状に開け閉めできる。このハードトップ1600Sを発展させ、新設計のDOHCエンジンを搭載したのがRT55型トヨタ1600GTだ。