第2回日本グランプリで2〜6位を独占
話は遡るが、大胆な発想でマシン開発(GT‒Ⅱクラス)は進めている。それは4気筒エンジンを搭載するスカイライン1500に、グロリアのG7型直列6気筒SOHCユニットを載せるという考えだ。そのためにバルクヘッドから前のボンネットとホイールベースを200mm延長、エンジンを無理やり押し込む荒技に出たのである。
G7型直列6気筒SOHCエンジンは排気量1988ccで、スペックは最高出力105ps/5200rpm、最大トルク16.0kgm/3600rpmだ。車両重量は1025kgだから速くならないはずはない。しかもオプションでウェーバーの3連キャブレターやオーバードライブ付き5速マニュアル、リミテッドスリップデフを用意していた。
車名は「スカイラインGT」で、1963年3月に発表。日本で最初に「GT」を名乗り、レースでの公認を取るためにS54A-1型として100台限定で生産された。5月1日の発売直後にレースの予選があったが、そこに現れたのはポルシェの最新鋭マシン、カレラ904GTSである。
ウェットコンディションだったことも幸いし、ポールポジションを獲得。決勝レースでもポルシェと互角に渡り合った。そして7周目のヘアピンコーナーでトップを奪い、17万人の観衆を総立ちにさせている。すぐに抜き返されたが、2位から6位までをスカイラインGTが独占。これで終わるはずだったが、日増しに再販を望む声が大きくなってきたため、首脳陣は正式発売を決断する。
1965年2月、量産モデルがベールを脱いだ。車名はスカイライン2000GT(S54B-2型)。驚かされたのは、G7型直列6気筒SOHCエンジンがグランプリ仕様に限りなく近かったことである。イタリアから輸入したウェーバー40DCOEキャブを3連装し、最高出力125ps/5600rpm、最大トルク17.0kgm/4400rpmを達成。当時としては驚愕のスペックだ。
青バッジを装着するシングルキャブ仕様のGT-Aを追加
トランスミッションは当初、ノンシンクロの1速ギアが左下にある特異なオーバードライブ付き4速MTを組み合わせている。ダブルウィッシュボーンとリーフスプリングのサスペンションを強化し、後輪にはトルクロッドも装備した。前輪はディスクで、ブレーキブースターも装備した。特徴的な櫛形フロントグリルは、初期型の櫛は10本ずつ、途中からスリットが11本に増える。
インテリアはGTよりはるかにスポーティな味わいだ。ダッシュボードから飛び出していたタコメーターはドライバーの前に移され、右側にはフルスケール200km/h表示のスピードメーターを並べた。フロアから伸びるシフトレバーも手前に引き寄せている。3本スポークのステアリングはウッドリムだ。レース前提だからラジオやヒーター、時計などはオプション扱いであった。
1965年9月、スカイラインGTの流れを汲むS54A-2型の2000GT-Aを仲間に加えている。
G7型直列6気筒エンジンに2バレルのシングルキャブとしたのは、陰では「ウェーバーキャブが足りなくなったから」と言われていた。最高速度はオーバードライブ付き4速MTによって170km/hだった。
ブレーキのバキュームブースターやトルクロッドは省かれているが、大きな不満ではない。フェンダーに装着するGTバッジは赤から青へと変更されている。これを機に、赤バッジのウェーバーキャブ装着車はGT-Bを名乗った。
GT-Bはサーキットで驚異的な速さを見せ、敵なしの快進撃を続けている。負ければニュースになる、と言われるほど連戦連勝を飾り、走るたびにコースレコードを塗り替えていった。GT-BとGT-Aの2グレードになった頃から「羊の皮を着た狼」のコピーを見かけるようになる。名付け親は自動車評論家の三本和彦のようだ。長く使われたが、平成の時代になると「羊の皮を被った狼」の表現に変わっていった。
スカイライン神話と伝説を生み出した初代の2000GTは、いつしかファンから「ゴーヨンビー」の愛称で呼ばれるようになる。意地が生んだ不世出のスポーツセダンだ。
スカイライン2000GT-B(S54B-2)
●年式:1965
●全長×全幅×全高:4235mm×1495mm×1410mm
●ホイールベース:2590mm
●車両重量:1095kg
●エンジン:G7型直列6気筒SOHC
●総排気量:1988cc
●最高出力:125ps/5600rpm
●最大トルク:17.0kgm/4400rpm
●変速機:4速MT
●サスペンション(F/R):ダブルウィッシュボーン/リーフスプリング
●ブレーキ(F/R):ディスク/リーディングトレーリング
●タイヤ:5.60/13-6PR