V6エンジンを積んだスモール・フェラーリの始祖
1970年代中ごろ、子どもたちの周りにあるさまざまなモノがクルマ関連グッズと化した空前絶後の「スーパーカーブーム」は、池沢早人師さんによる漫画『サーキットの狼』をきっかけとして巻き起こりました。当時の子どもたちを熱狂させた名車の数々を振り返るとともに、今もし買うならいくらなのか? 最近のオークション相場をチェックしてみましょう。今回は、ひと昔前は3桁万円で買えた「フェラーリの名がつかないフェラーリ」、ディーノ「206GT」のシリーズを振り返ります。
スーパーカーブームの子どもたちには「脇役のクルマ」だった
現在まで続くスモール・フェラーリの最初のモデルとして登場したディーノは、「206GT」(アルミ製ボディ)として1967年に発表された。69年には「246GT」Lタイプ(=スチール製ボディ)とバトンタッチし、その後、1971年にMタイプへ、そしてEタイプへと矢継ぎ早に進化。1972年にタルガトップ仕様の「246GTS」がカタログモデルとして追加設定され、1974年に全グレードが生産終了となった。後継モデルはファイバーボディのフェラーリ「308GTB」だ。
スーパーカーブームは、1975年から週刊少年ジャンプでの連載がスタートした漫画『サーキットの狼』をきっかけとして一気に盛り上がったので、フェラーリの名を持たないフェラーリとしてリリースされたディーノは、ブームが本格化する前に生産終了となっていたのだ。
『サーキットの狼』の中では公道グランプリで「沖田」がディーノ246GTをドライブしていたものの、当時の少年たちにとってディーノはランボルギーニ「ミウラ」と同じように「ちょっと前のスーパーカー」といった印象だった。300km/h付近で最高速度対決を繰り広げ、スーパーカーブームの牽引役となったフェラーリ「365GT4/BB」およびランボルギーニ「カウンタックLP400」のようなメインストリームではなく、通好みの存在であった。
実際に子ども向けの本にドド~ンとディーノが掲載されているケースは少なく、載っていたとしても246GTばかり。206GTという1年半だけ生産された始祖が存在し、「ディーノ」なる車名がフェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリの長男で24歳の若さで早世したアルフレッド・フェラーリの愛称であったという悲しきエピソードを知ったのは、かなり後年のことだった。
安価な時代に買ったオーナーたちは現在も大切に維持
ディーノは206GTが150台、246GTのLタイプが357台、Mタイプが506台、246GTSを含むEタイプが2898台ほど生産されたといわれていおり、いまでも趣味車のイベントに行くとディーノを見かける機会がある。
底値のときには500万円前後で流通していたディーノだが、いまや流通価格が驚くほど高騰してしまい、1億円を超える金額で取り引きされる個体まで登場。一般人でも頑張れば買える身近なスーパーカーではなくなってしまった。
筆者の知り合いのディーノ・オーナーたちは往時に600~800万円で買っており、流通価格が2000万円オーバーとなったときに売ってしまった人もいたが、ほとんどの人が購入時の10倍ぐらいのプライスとなったいまでも愛車を大切にしている。
安かった頃は街中で遭遇することもあったが、新たにオーナーとなるための軍資金が最低でも5000万円ぐらい必要になる現在は、ディーノに乗ってウロウロするオーナーがいなくなってしまった。もしも「野良ディーノ」と出会うことができたら相当ラッキーだ。
今やレストア必須の事故車でも驚きの高額で落札
ディーノの流通価格は高値で安定しており、去る2022年11月にドイツでRMサザビーズが開催した「MINICH」オークションでは、1969年式ディーノ206GTが30万3125ユーロ(当時レートで邦貨換算約4400万円)で落札された。
これは新車当時、英国に5台だけ輸入された206GTのうちの1台ではあるが、事故に巻き込まれてフロントエンドを破損し、オリジナルのアルミ製からスチール製に付け替えられている。さらに積まれるエンジンはノンマッチングで、内装もヤレていてドアパネルは外れた状態。元のオーナーがレストアに取りかかるも、プロジェクト半ばのまま倉庫で保管されていたそうだ。
つまりこの206GTはレストアベースと言っていい車両であり、ここから満足のいく状態に戻すまでにどれほどの手間暇とコストがかかることか……。であれば、ピカピカに仕上がったディーノはやはり、1億円の世界になるのも不思議ではない。
この個体が新オーナーのもとで美しく復活を遂げて、ふたたび衆目の前に現れてくれることを気長に待ちたい。