「打倒! シビックタイプR」を目指して開発
1990年代は、国産スポーツカーが熱かった時代だ。日産スカイラインR32GT-Rをはじめ、ホンダNSX、マツダRX-7(FD3S)、トヨタ スープラ(80)を筆頭に、1.6リッタークラスのホットハッチも文字通りホットなクルマが多かった。
N1耐久レースを強く意識したモデル
そうしたホットハッチの中で当時最強と言われたのは、ホンダ シビックタイプR(EK9)。そしてシビックのライバルと言えば、グループAレースでしのぎを削ったトヨタ カローラレビン&スプリンタートレノ。さらにシビックと同じく可変バルブタイミング機構のMIVECを備えた三菱ミラージュもワンメイクレースが盛んで、存在感を持っていた。
そうした中、最強のスペックを誇りながら存在感が薄く、日陰者になってしまったホットハッチがある……。それが1997年に登場した日産パルサーセリエ VZ-R・N1。ベースは5代目パルサーのN15。1995年にデビューしたN15が1997年にマイナーチェンジしたときに追加されたのが、VZ-Rだった。
名前に「N1」と入っているように、当時盛り上がっていたN1耐久レース(1998年からスーパー耐久レース)を強く意識したモデルで、オーテックジャパンがチューニングと販売を担当。
200psを誇るSR16VEエンジンを搭載
目玉は可変バルブタイミング&リフト機構「NEO VVL」を備え、NA1.6リッタークラスでは最強の200psを誇った新開発のSR16VEエンジンだ。200ps専用のシリンダーヘッド(通称:赤ヘッド)をはじめ、吸排気チューン、クランクシャフト、フライホイールのバランス取り、ポート研磨、燃焼室研磨、吸排気マニフォールド研磨など、かなり本格的なチューニングを施し、ライバルであるシビックタイプRの名機B16Bを15psも上まわっていた(車重は1110kgでシビックRより50kgヘビー)! 車体価格は259万2000円(シビックRは199万8000円)。
このスペックからも、日産サイドとしてはかなり本気で「打倒 シビックタイプR」を目指していたことがわかるはず。しかし、実際に走らせてみるとアンダーステアが強く、自慢のパワーが活かせるほどのトラクションもなかった。
限定300台のVZ-R・N1バージョン2も投入
「よく曲がるFF」として高く評価されていたシビックタイプRに比べると、ハンドリングはイマイチ劣り、トータルパフォーマンスでは明らかにEK9に分があった。そこで日産は翌1998年に、VZ-R・N1バージョン2も投入。
今度はサスペンションのスプリングレートを強化してフロントの車高をダウン。ダンパーも減衰力を見直し、タイヤサイズも195/55VR15から205/50VR15にサイズアップ。エンケイ製の軽量ホイールもオプションとして用意した。マフラーもフジツボ製の専用マフラーとなって、シートもR32GT-Rの純正シートのフレームを流用した専用スポーツシートに! こちらも限定300台で販売された。
ベースはよかったものの……
そして肝心のスーパー耐久レースではどうだったのか。けっこう有力なチームがパルサーVZ-Rで参戦し、善戦。FALKEN★パルサーは1998年、1999年に2年連続クラス2位(4クラス)。他にも5ZIGEN PULSARや、PMC・S(プリンス モータリスト クラブ・スポーツ)パルサー、ニッサンR&Dパルサーなどが走っていたが、チャンピオンはシビックに持っていかれてしまった……。
考えてみるとパルサーのルーツは日産チェリーで、1973年の富士マイナーツーリングでは、あの星野一義がドライブしたチェリークーペが、高橋健二のサニーに破れチャンピオンを逃している。VZ-Rの先代、N14のパルサーGTI-Rも「ラリーの日産」の復権を目指しててんこ盛りのスペックで登場したが、競技の世界では不発。アンラッキーな血統という面も否めない。
パルサーは、国産ホットハッチの歴史の中で、もっと評価されてもいいはずなのだが、VZ-Rなどは限定車ということもあって、ライバル車たちの間に埋没しており、少し残念な存在だ。