今や誰もが認めるスーパーカーの金字塔、ミウラ
1970年代中ごろ、子どもたちの周りにあるさまざまなモノがクルマ関連グッズと化した空前絶後の「スーパーカーブーム」は、池沢早人師さんによる漫画『サーキットの狼』をきっかけとして巻き起こりました。当時の子どもたちを熱狂させた名車の数々を振り返るとともに、今もし買うならいくらなのか? 最近のオークション相場をチェック。今回は、スーパーカー・ブランドとしてのランボルギーニの礎となった「ミウラ」を振り返ります。
70年代のお子さまの間では「脇役」
今でこそ「スーパーカーの中のスーパーカーはミウラだ」と声高に叫ぶクルマ好きが増えたが、やはり、70年代スーパーカーブーム全盛時のヒーローはランボルギーニ「カウンタックLP400」とフェラーリ「365GT4/BB」であった。
そのため、ブーム当時の子どもたちにとってのミウラは「ランボルギーニの名を世界に知らしめた名車」といったもので、現在一部のカーマニアが提唱しているキング・オブ・スーパーカーというポジションではなかった。子どもたちのバイブルだった自動車大百科の巻頭グラビアページに登場することも少なかったので、誌面におけるヒエラルキーは低かったといっていい。
ミウラは、ランボルギーニ初のミッドシップモデルとして1966年のジュネーブ・ショーでデビュー。このときにリリースされたのは、初期モデルにあたる「ミウラP400」だ。当時のチーフエンジニアであったジャン・パオロ・ダラーラが設計したシャシーに、ベルトーネ在籍時代のマルチェロ・ガンディーニがデザインしたボディを組み合わせていた。
ミウラを題材としたスーパーカー消しゴムも存在したが、やはり、ガンディーニによって描かれた繊細なボディラインをカーケシサイズで再現することは難しく、お子さま目線では、あまりピンとこなかったというのが正直な印象だ。
350馬力のV12エンジンと美しすぎるスタイル
スーパーカー消しゴムではイマイチだったが、実車のミウラは高剛性シャシーに排気量3929ccのパワフルなV型12気筒エンジンを横置きに搭載するという高度なメカニズムと、ガンディーニによる美しいスタイリングがバランスよく融合していたこともあり、ミウラP400はランボルギーニの知名度を上げる存在として大いに注目されたのだった。
その後、最高出力350psだったミウラP400のパワーアップ版として、1968年にP400Sが登場。車名の最後に付いた「S」はイタリア語のスピント(「超越した」の意味)の頭文字で、V型12気筒エンジンの圧縮比を高めるなどして最高出力が20psアップしていた。
1971年にミウラの最終進化型としてリリースされたP400SVに搭載されたパワーユニットは、最高出力385psを発生。こちらの「V」は、イタリア語のヴェローチェ(「速い」の意味)の頭文字だ。ミウラP400/P400Sとの識別ポイントは、ヘッドライトの「まつ毛」が無くなったこと、テールランプのデザインが変更されたこと、リアフェンダーが拡げられたことなどだ。各モデルの生産台数は、ミウラP400が475台、ミウラP400Sが140台、ミウラP400SVが150台といわれている。
フェラーリ初のミッドシップモデルであるディーノ206GTが登場したのは1967年のことだったので、それに先んじて横置きミッドシップというレイアウトを実現させたミウラP400はスーパーカーのパイオニアと呼んでもいいのかもしれない。