アメリカを気ままに放浪3カ月:73日目~74日目
これまで2度にわたりアメリカを放浪してきた筆者。還暦を過ぎた2022年4月から7月にかけて、人生3度目のアメリカひとり旅にチャレンジしてきた。相棒は、1991年式トヨタ「ハイラックス」をベースにしたキャンピングカー「ドルフィン」。愛称は「ドル」。最大の目的地であるワシントン州のオリンピック国立公園を満喫して、ふたたび南下しカリフォルニア州へ。友人夫妻とキャンプを楽しむため、海岸沿いのオークランドから東へ向かいます。
7月11日 パインクレスト・レクリエーションエリア
AKIRA隊長夫妻(LAで旅行代理店を営む)とバックパッキング・キャンプをするため、オークランドから東シエラのローンパインに向かう。シエラネバダ山脈の向こう側に行くためには、どうしても山越えが必要になる。これがティモシーに会うための代償だった。
しかも、ヨセミテ国立公園を横断する通称タイオガロードは、乗り入れ台数制限のため午前6時から午後4時まで宿泊予約があるクルマ以外は通行不可となっている。せっかくなら世界に誇る絶景コースを行きたかったが仕方がない。距離のロスが少ない州道108号線を行くことにした。
なるべくドルに負担がかからないように2泊3日の計画を立てた。1泊目はシエラ山中のパインクレスト・レクリエーションエリアを予約した。標高5600フィート(1680m)ほどのところにあるレイク・リゾートだ。アメリカにはこういう施設が本当にたくさんある。そして、どこも満員だ。パインクレストも例外ではなく、家族連れであふれていた。
途中で給油に立ち寄ると、レジの女性が顔をしかめている。「この煙で気が狂いそうだわ」ヨセミテの北の谷で山火事があり、煙がこのエリアに流れてきているのだ。視界が悪く臭いも強い。何日もこの状態が続けば、確かにたまらないだろう。
7月12日 2840mの峠を抜けて山越え成功!
翌日、ローンパインの100kmほど手前の町、ビショップを目指して、ヨセミテの夜明けを拝みながら出発。ここからが本格的な山越えだ。急な坂道をこれでもか、と登り続ける。ロードサイドの標高を示す標識が、7000、8000と上がっていく。そして、ついに9600フィート(2840m)で峠を迎えた。外に出てみると風がめちゃくちゃ冷たい。ドルは本当に頑張りました!
そのあとは東シエラを縦断する395号線まで一気の下りだ。張り詰めていた緊張が解け、ドルの水温も「C」近くまでクールダウンした。
無事に山越えを終えたところで、携帯電話からメッセージの受信音が聞こえた。ティモシーからの返事に違いない。ドルを買うかどうかの回答期限は昨日だったが、電波が届かないエリアにいたため受信できていなかったのだ。さあ、彼の答えはどうだろう?
ビューポイントでクルマを止めてメッセージを見る。「素晴らしいRVを見せてもらってありがとう。興奮しました。でも、今回は購入を見送ることにします。最高の旅が続くことをお祈りしています」
もし、ドルが売れた場合、セバストポールに戻ることになる。そのためには、また3000メートル級の山越えをしなければならない。それを避けるには南回りの超ロングドライブになる。
それを考えると気持ちが重かった。結局、売れなくてよかったのかもしれないが、どんな試験でも「NO」という答えは失望を意味する。眼下にきれいな湖を見下ろしながら、しばらくぼうっと放心した。
ビショップの街へ向かう途中でスマホ紛失!
山を降りると、ガスステーションと何軒かの店がポツポツとある、名前も知らない町に出た。早朝にキャンプ場を出たため、まだ10時だ。さすがに疲れた。手頃なレストランがあったので食事をすることにした。ブルーベリー・パンケーキとコーヒーを注文。なかなかおいしい。コーヒーのお代わりを飲み干したときには、すっかり気持ちが落ち着いていた。
レストランの向かいにスポーツギアを売る店があったので覗いてみた。義父へのプレゼントにスキー用の帽子を購入した。まったくの安物で申し訳ない! ついでに薪を買うことにした。斧がないので、なるべく使いやすく割れている束を探す。十分に吟味してひと束をチョイスした。
ビショップまでは、まだ砂漠の道が100km続く。ゆっくりと行って1時間半だろう。と、町を出てすぐに携帯電話がないことに気がついた。レストランに置き忘れたに違いない。慌ててUターンして店に戻った。
ところが、そこに携帯電話はなかった。スタッフが電話を鳴らしてくれたが、呼び出し音は聞こえない。見つかったら連絡してくれるようにAKIRA隊長の電話番号を渡す。次は道路を横断してスポーツショップだ。帽子売り場のあたりを探してみるが、ない。ここでも隊長の電話番号を渡して店を出る。
どうしよう? 電話やナビが使えない不便も大きいが、帰国の際のワクチン接種証明もなくなってしまった。目の前が真っ暗になった。しかし、もうこの町でできることはない。早くWi-Fiがあるビショップの街に行き、必要な人に連絡をすることにした。
救世主は「iPhoneを探す」アプリ
ビショップのデニーズに駆け込み、まずオークランドで泊めてくれたジェシにメールを打った。電話の中に入っているのは、彼のSIMカードだ。悪用されないように止めてもらわなければならない。次にAKIRA隊長にヘルプを頼んだ。レストラン、スポーツ店から連絡があるかもしれないと伝えた。
食べたくもないデザートを口に入れながら数人に連絡をしていると、ジェシから返信があった。「アドベンチャーが続いているね」とジョークで始まり、その後に「iPhoneを探す」のアプリを使ったら、とのアドバイスが続いていた。そうだった! その機能があることを今ごろになって思い出した。
さっそく、検索をすると、スポーツ店のあたりに電話があることが分かった。隊長に電話を入れてもらい、Wi-Fiがある安モーテルで返事を待つことにした。
レンタカーで片道100kmを走ってスマホ回収!
傷心を癒すためにプールに飛び込み、ビールを飲んでいると、夕刻、隊長から「スポーツ店で携帯が見つかったよ」と朗報が入った。朝8時にショップがオープンするので、それ以降に来てくれ、という伝言だった。よかった。まずはほっとした。
隊長夫妻とのローンパイン・ビジターセンターでの待ち合わせは正午。計算上はなんとか間に合うはずだ。しかし、ドルのスピードではとても無理。そこでレンタカーを借りることを思いついた。モーテルの親父に相談すると、近くにエンタープライズ(大手レンタカー会社)があるという。
インターネットでトヨタの何とかいうコンパクトカーを予約。翌朝、オープン直後の8時過ぎにレンタカーをピックアップした。そして、片道100kmを弾丸往復して10時半にモーテルに戻った。ぼくの携帯電話は焚き火用の薪のラックに落ちていた。かがんで薪を探しているときにポケットから落ちたに違いなかった。
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