トヨタ「セルシオ」のライバル的存在は贅沢の極みだった
今回紹介するのは、バブル景気に湧く1989年に登場した「インフィニティQ45」だ。1989年というのはR32型日産「スカイラインGT-R」など、今で言う名車が大挙登場した年であり、バブル真っ盛りというか、今思えば崩壊直前の絶頂期だった。それゆえ、各メーカーからさまざまなクルマが登場したが、基本的には豊富な開発費をバックにした質へのこだわり、そして豪華絢爛な作りが当たり前となっていた。いい悪いは別にして、日本車のレベルをグッと引き上げたのは確かだ。
バブル景気で多彩なクルマが登場した
と、総括的に言えばこうなるのだが、振り返ってみると行き過ぎた感じのクルマも少なからず存在した。大量発生という点では毎度お馴染みのマツダ5チャンネル勢はクルマとしてはよかったが、存在意義としてはよくわからなかったというのが正直なところだろう。
バブルといえば高級路線もひとつの特徴で、1989年には世界の自動車メーカーを震撼させた名車、トヨタ「セルシオ」が登場している。だが、その対抗馬として日産が投入したインフィニティQ45については、今思えばよくわからないクルマだった。ちなみにセルシオの登場よりも1カ月早く発売されており、ルーツとなるショーカー、「CUE-X」が登場したのは1985年のこと。どちらかがライバルとして当てたというよりも、時代の趨勢によってそれぞれが別個に登場したというのが正しいだろう。
まず車名がよくわからなかった。インフィニティとは1989年に設立された、今でもある日産の北米向けブランドである。つまり、開始と同時に最上級車種として作られたのがインフィニティQ45というわけだ。ただし、インフィニティブランドが日本に上陸するとのウワサはあったものの、現在に至るまで展開されたことはない。
インフィニティブランド日本導入のきっかけとなるはずだった
この点が当時から違和感はあった。バブルの勢いでインフィニティを日本展開したかったのかもしれないが、インフィニティQ45としてポツンと日本に投入したのだから当然だろう。レクサスが日本に未上陸なのに、セルシオだけがレクサスLS460というような車名でトヨタのディーラーで売っていたら違和感を感じるのと一緒だ。
それに対しての答えは、あくまでも「日産」インフィニティQ45であるというもの。つまりただの車名というわけだ。実際、小さいNISSANのエンブレムが付いていた。