七宝焼や漆塗りも使い贅沢に作り込まれていた
肝心の作りは贅を尽くしていた。和のテイストを取り入るというのはどのメーカーでも行われていて当時の流行りだった。インフィニティQ45ではフロントエンブレムは七宝焼。インパネは漆塗りで蒔絵も施されていたし、オプションながら18金製のキーも大きな話題になった。
走りもまさに1980年代の集大成的な成熟した内容。日本初の4.5LのV8は実質300psは出ていたとされ、足まわりも前後ともに日産お得意のマルチリンク式を採用し、さらにはオプションでアクティブサスも用意されていた。
このように売れて当然のように思えるが、実際はほとんど売れず。セルシオの対抗馬にすらなっていなかったと言っていい。理由は車名もあるだろうし、和のテイストもやりすぎた感もあったし、グリルレスとそこに輝く七宝焼きのエンブレムはなんだかバタ臭い感じもした。外国人が考える日本風と言ったらいいだろうか。
そしてなにより、狭かったのも関係していると思われる。サイズ的には全幅が1825mmで、全長も5090mmと巨大だったが、その割には狭いというのが正直な印象。当時、ピラーを内側に傾けたハードトップが人気だったので、その手法を採り入れたのはとくに変ではない。ただし、ライバルたるセルシオがキッチリとスペースを取って、クラウンの上級車種としてうまくハマっていただけに、なおさら。セドリック/グロリアからステップアップされるわけではないし、身内には大ヒット作シーマもいる。さらに1年後にはテコ入れ的に兄弟車のプレジデントまで投入されただけに、わざわざ買う理由がなかった。
インフィニティQ45は最終的に1997年まで販売され、国内的には3代目シーマとなって消滅してしまった。途中でグリルレスをグリルありにしたり、本木目を木目調にするなど、コストダウンという名のテコ入れが行われたが、当然ながら販売は回復するわけはなかった。
アメリカでは堅実に売れたからいいのだろう。またバブルのあだ花と言ってしまえばそれまでだが、今思えば出来は悪くなく、奇をてらわなければもう少し売れた気もする。セルシオ的な、日本人が本当に好むものをうまく入れていればよかったかもしれない。