高度経済成長とともに拡大したコンパクトファミリーカー
「隣のクルマが小さく見えま~す」という挑発的なキャッチフレーズで一世を風靡した日産「サニー」。常にライバルであるトヨタ「カローラ」とは、クルマの資質のみならず販売台数というシビアな数字との戦いでもあった。3代目となる210型登場時は、排ガス規制というスポーツカー暗黒時代にも突入していた。
進化の源は永遠のライバルとの販売合戦
カローラとともに日本を代表するコンパクト・ファミリーカーのひとつが、1966年2月に誕生したサニーだ。車名の「SUNNY」は、英語で明るい太陽の光を意味する。
このサニーという車名は、公募によって決められた。日産のボトムを担うファミリーカーとして開発されている。そして、多くの人が慣れ親しんだダットサン・ブランドを冠して発売され、1980年代初頭までは、日産ではなくダットサン・サニーと名乗っていたのである。
サニーは軽快な走りが自慢のファミリーカーだ。だが、カローラほど“おもてなし”が上手ではなかった。そのため、常にマーケットではナンバー2の座に甘んじることになってしまった。
現代でも傑作と呼ばれ続けている、1970年1月に登場した2代目となるB110型サニーはサイズアップ。「隣のクルマが小さく見えま~す」とカローラを挑発したコマーシャルは、50代半ば以上の人たちならきっと記憶に残っているはずだ。
刺激的なキャッチフレーズと走りのよさで、最初は好調な販売を記録していた。ところが、2代目カローラが同年5月にモデルチェンジをすると、みるみるうちに販売面で大きく水をあけられてしまう。
現在はクーペを中心に高く評価され、憧れの的となっているB110型サニーだが、当時の営業サイドは不満を抱いていたのである。その証拠に、カローラが発売を開始した直後から次期モデルの開発に着手し、コンセプトまでも変えたのである。
B110型サニーは登場からわずか3年3カ月でモデルチェンジを断行することになり、1973年(昭和48年)5月、後進となる3代目サニーへとバトンを託す。このモデルの型式は、B110型の後継を示すB210型と付けられた。
ボディバリエーションは、2代目と同じ。2ドアと4ドアのセダン、そして若者をターゲットにした伸びやかなフォルムの2ドアクーペを用意している。シリーズ構成は、大きく分けると2つ。経済性を重視した“1200”、ラグジュアリー感覚を強めた“エクセレント”だ。エクセレントはB110型サニーの途中に誕生したシリーズで、日産陣営に新たに加えられたバイオレットに迫る車格を売りにしていた。
ボディサイズはひとまわり大きくなり、ファッション感覚の強いエクステリアデザインを採用している。先代エクセレントはボンネットとホイールベースを延長し、明快に差別化を打ち出していた。しかし、B210型は1200シリーズもエクセレントもボディサイズは同じ長さだ。それゆえ1200シリーズのホイールベースは、先代より40mm長くなり、エクセレントと同じ2340mmになったわけだ。
高度経済成長期の真っ只中だったので、サニーも上昇志向を強く打ち出している。ボディが大きくなったこともあり、1.4Lエンジンを積むエクセレントを主役の座に置く販売戦略が採られた。装備だけでなくエクステリアも1200との差別化を図り、フロントマスクは専用の凛々しいデザインだ。排ガス対策を施したため、後期モデルでは1.6Lエンジンも搭載する。
発売直後にオイルショックに見舞われ、厳しい排ガス規制にも苦しめられた。しかし、B210型は新境地を切り開き、北米でもヒットを飛ばしている。ダットサンの魅力を高めることに貢献したヒーローとも言えるモデルだ。