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懐かしい「アルファ ロメオ3兄弟」とは? ツーリングカーレースの主人公だった黄金期を振り返ります

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/Stellantis N.V.

DTM用に開発されたのが155 V6 TI

75 Turbo Evoluzione IMSAの次に紹介するのは155 V6 TIのITC仕様です。1992年に75の後継モデルとして登場した155ですが、フロントにエンジンを縦置き搭載した後輪駆動の75からは一転、フロントにエンジンを横置きした前輪駆動へと駆動パッケージが一新されていました。

また前輪駆動だけでなく全輪駆動(4輪駆動)もラインナップされていましたが、アルファ ロメオのワークスチームは、この4輪駆動モデルの155 Q4をベースにツーリングカーレース用の競技車両を製作したのです。まずはイタリアの国内選手権用に155GTAが製作され、1992年シーズンには20戦中17勝を挙げる圧倒的な速さ・強さを見せつけてランキング上位を独占します。

1993年から同選手権はクラス2規定、いわゆるニューツーリングカー規定で戦われることになり、アルファ ロメオは“最強のハコ車レース”として人気の高かったDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)へと戦いの場を移します。そしてDTM用に開発されたのが155 V6 TIでした。

4WDシステムはそのままに、エンジンを2L 直4ターボから新開発のNA2.5L 60度V6に変更。1993年シーズンのDTMでは全20戦中12勝を挙げ、デビューシーズンにいきなりメイクスタイトルに輝き、10勝を挙げたニコラ・ラリーニがドライバーチャンピオンでダブルタイトルを獲得しています。DTMから誕生した国際ツーリングカー選手権(ITC)が開催されるようになり、マシンもさらに過激なものへと変革していきました。

アルファ ロメオ歴史博物館の収蔵庫で見かけた155 V6 TIはITC仕様の最終モデル。前後サスペンションをダブルウィッシュボーンに変更、エンジンもシーズン途中から新設計の90度V6にコンバートされています。メイクス最多の10勝を挙げ、ドライバーとしてもアレッサンドロ・ナニーニが最多の7勝を挙げたものの、ともにタイトルには一歩手が届きませんでした。

ツーリングカーの王者だった156 GTA D2

最後に紹介するのは 156 GTA D2です。1997年に155の後継モデルとして登場した156は、ウェッジシェイプを採用して直線的だった155からはスタイリングを一新、ふくよかな曲面でまとめられていました。ツーリングカーレースに参戦したマシンは、車両規定が大きく変わりスーパーツーリングやスーパー2000など、DTMの時代とは様変わりしていました。

参加する競技シリーズもITCが終了し、DTMも様変わりしていたために、156 GTA D2の活躍の場はヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETCC)に移っていきますが、その速さは相変わらず。ファブリツィオ・ジョバナルイディが2000年(ヨーロッパ・スーパー・ツーリング・カップ)、2001年(FIAヨーロッパ・スーパー・ツーリング選手権)、そして2002年(FIAヨーロッパ・ツーリング・カー選手権=ETCC)とシリーズタイトルが変わって行く中3連覇を果たしています。

2002年には初めて設定されたメイクスタイトルをアルファ ロメオが獲得し、見事ダブルタイトルに輝くことになりました。参戦最終シーズンとなった2003年は、前年と同様にFIA ETCCタイトルが懸けられていて、BMWに移籍したジョバナルディに代わりアルファ ロメオのエースを務めたガブリエル・タルクィーニがドライバーズチャンピオンに輝き、有終の美を飾ることになりました。

アルファ ロメオ歴史博物館の収蔵庫で出逢ったのは2003年、つまり最終モデルとなった156 GTA D2です。収蔵庫では偉大なる先輩に挟まれて、控え目に振舞っていたようにも感じられましたが、いずれツーリングカーの王者だったことに違いはありません。

* * *

日産のターボ3兄弟のように、同時期に覇を競い合った3兄弟も凄いのですが、1980年代から1990年代、そして2000年代と時を重ねながらツーリングカーレースの主人公であり続けたアルファ ロメオのツーリングカー3兄弟も素晴らしい。そう思わずにはいられない3ショットでした。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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